シックスセンス | 黄色のトパーズ

黄色のトパーズ

そのバイク、何cc?
俺も昔はバイクに乗ってたんだよ。
スズキのグースってヤツでさ・・・

この映画、凄く好きなんです。最初はえっ!?って感じだったけど、この映画ってよくよく考えてみると人間社会というか、人間そのものを描いているんじゃないかと思うんです。以下ネタバレ含む・・・見てない人はまず見て欲しい、超面白いので!

シックスセンスの中で鍵になる設定はこのの3つ。

1.死者は自分が見たいものだけ見える
2.死者はお互いには見えない
3.死者は自分が死んでいると気付かない

1って何なのか。死者じゃなくて実は人間そのものだと思う。自分が見たいものだけ見える。裏を返せば、自分が見たくないものは見ない。都合の悪い物事は見ない、都合の良いように物事を解釈する。自分の見たいようにしか世界を見ないってこと。多かれ少なかれ誰にでもある部分。自己と向き合うことで減らすことはできるけど、どこまで行っても人間は自分の見たいようにしか世界を見ることができないと思う。それを死者だって言っちゃってる。全人類に向かってオマエはもう死んでいる宣言。2も3も死者は・・・という設定だけど、実は人は・・・じゃないのかと。

1と2。自分の見たいようにしか世界を見ない死者と死者。死者は人、人と人。自分のみたいようにしか世界を見ない人と人はお互いが見えない。お互い認め合うことができないどころか、見えないので交わることすらない。こういうことって現実社会でもあると思う。

1と3。自分が見たいようにしか世界を見ない奴は死者で、その死者は自分が死んでいることに気付かない。平たく言えば勘違い野郎は自分で勘違いしていることに気付かない。

とまあこんな感じで全人類に喧嘩を売るような内容でありながら、全く毒々しさを感じないどころか見終わった後には清涼感。その仕掛けは最初の3つの設定によるところが大きくて、このストーリーを考えたシャマラン監督は天才だ。


マルコムが心理学者、頭の良い人間という設定。というか自分で自分を頭が良いと思っているような描写が随所にあるので、自分は頭が良いと思っている人間と言った方が正確か。そういう人間が陥りやすい罠と言いたいのかもしれないし、誰でも自分が見たいようにしか世界を見ない面は残ると言いたいのかもしれない。ラストは自分が死者であることに気付くけど、マルコムのように根気よく謎を解いていけば3の設定を突破して死者だと気付けるんだと叫びたかったのだと思う。


なんかこのシックスセンスの世界観、バイクと妙にマッチする。サーキットでタイムを詰めていく時なんか、まんまシックスセンス。タイムが出ないのは、セッティング? バイクのパワーが無い? タイヤが滑る? 腕? ローカルテクニック? その時、ライダーが見たいようにしか見えない。死者になって彷徨わないで済むように、色んな面からライディングを精査して自己を見つめ直さなきゃいけない。死んでることに気付けば成仏してベストが出るかもしれないし、死者じゃなく生きてる人間と考えるとコールだ。死者が見えるコールは周りから異常扱いされているけど、自分の見たいようにしか見ない人間も見ることができるなんて最高じゃないか。

・・・まあシックスセンス見て思考がバイクに飛んでしまう人はほぼいないと思うけど、それもまた人は見たいようにしか世界を見ることができないシックスセンスということで。