自転車が好きな子供だった。

小学校の入学祝に、祖父母から「丸石 トッピーデラックス」という自転車をもらった。


当時の自転車はシートステーブリッジに、細筆で車輪のインチ数を白文字で描いてあり、

その数字の大小が成長の度合いを示していた。

僕の青い車体に描かれていたのは、確か「18」。同時にもらっていた兄貴の赤い自転車には「20」と描いてあった。

6歳なので、日帰りサイクリング。

時は流れ、16歳の時に「ブリジストン・ユーラシア」で初めて一日で100km以上走った。

19歳で初めてレースに出た。

不整脈が出ること、何より指導者の方が向いていたということで、

数年間で十数レースを走っただけだったが、それはそれは楽しかった。

優勝や入賞も何度か経験したが、一番楽しかったレースは、

「オリベッティ ツールドジャーパン 白浜ステージ」

カタルーニャからオリンピック候補が3名が招待され、同じ集団を走ることもできた。

あの頃の1/30でいいから体力が欲しいな。

今は毎年「桜の開花」「白良浜の海開き」「紅葉」の3週間を白浜で過ごしている。

あの頃、よく大阪から白浜まで自転車で走ったけれど、

もし今みたいに温泉リゾートを所有していたら、最高に気持ちよかっただろうなぁ(^^♪

大学の同級生の親が持っていた「古賀浦」のリゾートマンションを借りていたけれど、

大浴場は無かった気がする。

健康に優る財産はない。

そして、やがて鍛錬よりも節制の日々になるのだ。

あれよあれよで2025年。


令和も7年。


平成7年は、阪神淡路大震災が起こった。

 

あと一週間で、あれからもう30年か。

 

僕は大阪に独りで住んでいた。

 

親が持っている、変な作りの散らかった部屋で、

 

万年床の煎餅布団で寝ていたら、大きな揺れで起きた。

 

背の高いオーディオラックの上に置いてある、10kg以上あるスピーカーがせり出てきて、落ちてきそうになっていたので、

 

慌てて奥に押し込んだ。

 

で、

 

また寝た。

 

起きたら、すでに数十人が犠牲になったという報道があり、とりあえず仕事場へ向かったなぁ。

 

列車がちっとも来ず、かなり駅で待っていたが、アナログ携帯時代なので、何の情報更新も無し。

 

 

30年前か...

その後、NYテロや東日本大震災など、色々あったが、

そんなこんなで来年は還暦。赤いチャンチャンコ。

enosのレーシングワンピースを引っ張り出してこようかな。

人生50年と言われたのは昭和初期まで。

そんな50歳をとっくに超えて、色々と円熟のはずが、

 

思わぬ落とし穴にはまってしまうという失態から、

酷い1年間だった。

 

何かを変えなければ、これはまだまだ続く。

 

ちょっと気合いを入れてルネッサンスせねば!!

 

新年早々、まともに歩けないほどに体を壊し、3週間以上食事もできず、

なんと58㎏にまで体重が落ち、

医者に「とにかく何か食べないと」と言われて約半年。

デブになってしまった(+_+) 

 

69㎏。さて、何とか体重もルネッサンスしなければ!!