久々の土曜休日出勤、夜9時過ぎ、ようやく無事業務完了…
途中、休憩時に携帯やPCで見た1年前の大震災関連のニュースに心揺さ振られた…
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≪日赤職員、初動の記録より≫
http://www.jiji.com/jc/v4?id=jrcs0008
東京広尾の日赤医療センターから3月11日夕方救護出動要請を受け、12時間かけてたどり着いた石巻赤十字病院で、ポツンとたたずむ小さな女の子と男の子のきょうだいに出会った助産師さん…
『なぜ子ども2人だけで、と声を掛けると、「知らないおじさんに助けてもらった。おじさんは流された。」これが大震災なのか。体を暖めてあげるしかなかった。』
詳しい状況はわからないけど…自らを犠牲にして、幼いきょうだいの命を助け、そして流された「知らないおじさん」のご冥福を心からお祈りしたい…
同時に、おじさんが自らの命と引き換えに助けた2人のきょうだい(この後、ご両親とは再会出来たのだろうか…)の今後の人生に幸多かれと祈らずにはいられない…
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≪被災中学校で卒業式≫
『東日本大震災で被害を受けた宮城県内では10日、多くの中学校が卒業式を行った。3年生に進級する直前に起きた1年前の大津波。同級生と一緒に卒業させてあげようと、亡くなった生徒の保護者に卒業証書を渡す学校もあった。
『石巻市立湊中学校では、当時中学2年だった男女生徒2人が津波の犠牲になった。校舎は津波にのまれ、会場は間借りする中里小学校の体育館。仲の良かった生徒が2人の遺影を持って入場し、卒業生90人に卒業証書が授与された。
『学年主任の教諭が「忘れてはならない大切な仲間がいます」と2人の名を呼ぶと、卒業生全員が大きな声で「はい」と返事。石母田誠校長(57)は保護者席に進み、涙に震える声で亡くなった小野寺誠君=当時(14)=の名を読み上げ、参列した誠君の母純子さん(48)に卒業証書を手渡した。
『純子さんは出席を迷っていたが、誠君の級友から多くの励ましの手紙をもらい、「一緒に卒業しようと思えた」という。「来て本当によかった。天国の息子の足を引っ張らないように、笑顔で生きていきたい」とほほ笑んだ。』
まだ14歳でさぞかし無念だったろう、でも本人の無念は、残った同級生全員がしっかり受け止めて生きて行ってくれるに違いない…
そう想えたからこそ、お母さんも微笑むことが出来たんだろうな…
≪卒業おめでとう!!それ以外の言葉は無い。辛い。≫
携帯のYahoo!ニュースでこの記事に付けられてたコメント(<ヤフコメ>)を読んだときに…
何故か、不覚にも大粒の涙がポロポロこぼれた…