「嫁いだ」というと語弊があるかもしれません。「嫁い」でないかもしれませんので(-_-;)

しかし、万葉集巻4の相聞(恋)に、「額田王、近江天皇を思ひて作る歌」として、

 

君待つと 我恋ひ居れば 我やどの 簾動かし 秋の風吹く


万葉集巻1雑歌、大海人皇子の歌に、


紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋ひめやも

 

とありますので、天智天皇の妻かそれに準ずる人とみなされていたように思います。

 

額田王は日本書紀にある通り、若い時、大海人皇子に嫁ぎ、十市皇女を産んでいます。

 

いつ、額田王が大海人から中大兄皇子に乗り換えたのかはわかっていませんが、私は中大兄皇子が天智天皇として即位したときではないかと思っています。

 

理由は、額田王が宮廷歌人だからです。額田王は始め大海人皇子の妻の一人として普通の結婚生活を送っていたのだと思いますが、その歌の才能故に、歌人として宮廷で仕事することが増えていったと思うんです。斉明天皇付きの歌人として活躍し始めたのではないかと思います。

 

中大兄皇子が即位するとき、額田王は大海人の妻のまま残り天皇付き歌人をやめるか、別れて天皇付きの歌人として働き続けるかの選択を迫られたのではないかと思います。普通に考えて、天皇付きの歌人がほかの人の奥さんっておかしい感じがします。額田王は大海人皇子と別れて歌人として生きる道を選んだんじゃないかな。若い時ならいざ知らず、ある程度歳を取ったら男より仕事取ると思います。向いている仕事に就いていた上に、才能にあふれていて、それをみんなが認めていたわけですから。私も若いとき、仕事を取るか男を取るか悩み、結局結婚しましたが、それも「子供が産めるのはいまだけかな」と思ったからです。今の私に同じ選択が迫ったら、間違いなく仕事取りますからww

 

額田王と天智天皇の間に子供いないですよね。本当に大海人と取り合って天智天皇が奪ったのなら、額田王に子供がたくさんいてもおかしくないと思います。二人とも子ども作れるわけですから。子供つくるようなこともしたのかもしれませんが、基本は仕事の関係だったのではないかと思います。

 

それでは大海人は額田王が行ってしまった後も彼女をおもっていたか、と問われれば、少しは気持ちがあった、程度じゃないかな、と思います。男性は名前を付けて保存、女性は上書き保存、っていうじゃないですか。だから保存してあったと思いますが、他にも若くてかわいい奥さんがたくさんいますから、そちらで用が足りていたと思います。男性は若い女性が好きですから、年齢の高い額田王にそこまで思い入れはないかな、と思います。

 

額田王の作風見ていると「威風堂々」って感じがするんですよね。戦っている男の人って、穏やかでしなやかでたよりないくらいの女性のほうが好きだと思うんです。中大兄皇子も大海人皇子も世間で戦ってます!って感じの男性なので、額田王タイプの女性にはまらないと思うんです。個人的見解ですが((+_+))

 

天智天皇が額田王の経済的面倒をみることになり、家を与え、必要なものを与えてってしていたから、周りからみたら奥さんの一人に見えたんじゃないかな。天智天皇に庇護されているって意味では、扱いは妻たちと同じですし。