善光寺縁起絵巻という絵巻物に皇極天皇が出てきます。息返ることを許された本多善佐が、地獄から戻る途中で、地獄へ向かっていた皇極天皇とすれ違うというエピソードがあるそうです。
皇極天皇が現世で悪いことをたくさんしたから地獄へ送られることになったのか、みんな漏れなく地獄に行くのかわかりませんが、まあ、天国には送られなかったようです。
皇極天皇在位は641-645年です。
その短い4年間の間に2つの大きな虐殺事件がありました。
1つ目は643年の上宮王家滅亡
2つ目は645年の蘇我大臣家滅亡
です。当時力のあった2つの家系がこの短期間に滅亡しているというのはちょっと異常な気がしませんか?
皇極天皇はこの2つの事件にかかわっているのでしょうか?
関わっていたと後世の人が思っていたから地獄に行くように描かれたのでしょうか?
実は皇極が退位して孝徳が即位してからも「滅亡」するほど大きくはありませんが、殺人事件は続いています。
645年 中大兄皇子の異母兄である古人大兄皇子が殺された。
649年 蘇我石川麻呂が無実の罪で自害された。
658年 孝徳天皇の息子有間皇子が殺された。
皇極は「自分の子孫に皇位を継がせたかった」んじゃないでしょうか。
そして蘇我氏が持っていた「権力」も欲しかったのではないでしょうか。
もしくは息子の中大兄皇子が「皇位を継たく」、「権力」もほしかったので、母の皇極が協力したのかもしれません。
天智天皇は間違いなく優秀な息子だったと思います。現代の多くの親のように、皇極天皇も息子に地位と財産を与えたかったのでしょう。
どちらにしても、これらの虐殺や殺人にかかわっていたとしたら「地獄」に送られたとしてもおかしくないですよね。