~ 慈しみ , いつくしみ について 。
( 学び )
学ばせていただきました ブログから。
( 抜粋 させていただきました )
慈しみ深き / 星の世界 よ 。
祖母の話 ( 少し) 。 ~

















★『 いつくしみの類語・シソーラス - 類語辞書 - goo辞書 』
↓↓(抜粋)
恩愛(おんあい)/慈愛(じあい)/慈悲(じひ)/いつくしみ
[共通する意味]
下の者、弱い者 に めぐみ や 心 を かけ 大切 にすること 。
また、その 心 。
[使い分け]
【1】「 恩愛 」は、特に 親子の間の 情愛 をいう。「おんない」とも 。
【2】「 慈愛 」は、 親が 自分の子供 に 対するような 深い愛情 をいう 。
【3】「 慈悲 」は、 元来は 仏教語 で、衆生をいつくしみ 、 楽を与える 慈 と 、衆をあわれんで、 苦 を除く 悲 の意 。
【4】「 いつくしみ 」は、愛情 をもってかわいがること。「 慈しみ 」とも書く。
goo国語辞書より
↓↓(転載)
★ いつくしみ【慈しみ】
いつくしむこと 。恵み 。慈愛 。
「母の深い―」
★ おん‐あい【恩愛】
《 連声 (れんじょう) で「おんない」とも》
1 恵み 。慈しみ 。「―の情が深い」
2 夫婦・肉親間の愛情 。また、それに対する執着 。「―のきずな」
★ じ‐あい【慈愛】
親が子供を いつくしみ、かわいがるような、深い愛情 。「―に満ちる」
★ じ‐ひ【慈悲】
1 《「慈」は、梵maitrī「悲」は、梵karuṇāの訳》
仏語 。 仏・菩薩 (ぼさつ) が人々をあわれみ、 楽しみを与え、 苦しみを取り除くこと 。
2 いつくしみ、あわれむこと 。なさけ 。











学ばせていただいた ブログ から、抜粋させていただきました。
有り難う御座います。m(__)m
☆『慈しみの心・慈悲の心 | スピリチュアルな能力で潜在意識から自己否定を取り外し人生を変容させる☆意識改革 』
↓↓( 抜粋 )
この「 慈しみ 」と言う言葉は 、動詞の「 慈しむ 」の連用形なのですが
辞書で引くと「 慈愛・恵み 」と書かれています 。
では 元の「 慈しむ 」はというと、「 可愛がる・慈しむ 」となるのですが
多分、 感覚で解っていてもどういう状態を示すのか
あまり言葉では説明されていないと思います。
仏陀のことば 「 スッタニパータ 」には 慈しみ ついてこのように書かれています 。
いかなる生物生類であっても、
怯えているものでも強剛なものでも、
悉(ことごと)く、長いものでも、大きいものでも、 中ぐらいのものでも、短いものでも、
微細なものでも、粗大なものでも、
目に見えるものでも、見えないものでも、
遠くに住むものでも、 近くに住むものでも
すでに生まれたものでも、 これから生まれようと欲するものでも、
一切の 生きとし生けるもの は 、幸せであれ 。
何びとも 他人を 欺(あざむ)いては ならない。
たとい どこにあっても 他人を軽んじてはならない 。
悩まそうとして 怒りの想い をいだいて
互いに 他人に苦痛 を 与えること を望んではならない 。
あたかも 、 母が 已が独り子 を 命を賭けて 護るように 、
そのように 一切の生きとし生れるもの どもに対しても 、
無量 の(慈しみの)意 を起すべし 。
また 全世界に対して 無量の慈しみの意 を起こすべし 。
上に、下に、また横に、障害なく 怨み なく 敵意なき(慈しみを行うべし)。
人を 欺いたり 軽んじたり 、互いに苦痛を与えること を 望まない のが
慈しみの心づかいだよ と 仏陀 はいいます 。
全ての 生命は 平等 なのだから 、全世界に対して はかりしれない
慈しみの思い を 心に持つのですよ と 諭しています。
恨みなど を 抱くことなく 、 相手の幸福 を 祈るのですよ ということです 。
また その姿が ひとが目指すべき理想 の姿 、 無条件の愛 の 姿 です 。
それを 「慈愛」 というのですね 。
仏陀 が話す 慈しみの心 があれば、この地球上 に 平和 は 訪れるのでしょうね 。
略)
「 慈しみ 」と 同じように 使われる 言葉に、
「 慈悲 」という 言葉 があります 。
慈悲 は 元々 は サンスクリット語 の 「 マイトリー 」で 仏教用語 です 。
慈しみ と 同じ意味 なのですが 、日本では 目下のものに 憐れむ気持ち を表しますね 。
「 慈 」は 自分と同じように 他者も 慈しむことであり
「 悲 」は 他者の悲しみを 自分のことのように 感じること を 意味します 。
どちらも 相手を思う 気持ち を示します 。
日本語に訳された「 慈悲 」という言葉は、
聖書 にもたくさん 出てきます 。
同じ言葉 なのに 、 仏教 と キリスト教 では その言葉が示す 世界観 が 違っています 。
これは、 宗教 という 枠組み の中に 縛られた 思想 がそうさせているのでしょう 。
「 自分と同じように 他者を 慈しみ 、 他者の 悲しみ を 自分の事のように 感じる 」
というのは、
「 あなた自身 のように あなたの 隣人 を 愛せよ 」という キリスト教 の 隣人愛 に 通じるものがあります 。
他者 を 自分と同じように 思いやること は 簡単なようで 早々 出来る事ではありません 。
ましてや 国や 人種を超えて 慈悲の心 を持つ と言うのは 、 私達 人間全て が 学ぶべきことでしょう 。
他者への思い に 条件をつけていて は 、 慈しみの心 も 慈悲の心 も 養われることはありませんね 。
無条件 の 愛 だけが 、 慈しみの心 と 慈悲の心 を 育ててくれるのです 。
抜粋終わり)











☆『 慈しみの心 』
(抜粋させていただきました。m(__)m)
↓↓
慈しみ という 言葉 は 英語 では
「 Lovingkindness 」
愛にあふれた 優しさ、親切 というような意味でしょうか 。
神様から私たちに向けられている 姿勢 は常に「 慈しみ 」が 土台 にあるようです 。
だからこそ 、「 赦し 」とか「 和解 」とかが 提供 されるわけです 。
そういえば 、「 いつくしみ深き友なるイエスは 」という 賛美歌 は 、どういう状況の中でも 歌える 不思議な曲 のひとつですね 。
神様の慈しみ に 触れながら 生きていける ということは すばらしいこと です 。
よく 慈悲の心 と言いますが 、 神様にそういう 心 で じっと見守られている としたら 絶望 とは 、縁遠くなれるのでしょうね 。
私たちの 絶望の下 に 慈しみの御手 が 添えられているからです 。
なんだか 私のこと を いつでも笑顔 で 迎えてくれた 祖母のこと を思い出しています 。
私は 祖母に愛されていました 。祖母 は私のことを悪く言ったことは 一度もありません 。 どんなことをしても 必ず 善いように 理解してくれた のです 。
慈しみの心 がそこにありました 。
ヨハネの福音書の中に 11:35
イエスは涙を流された。 という言葉が紹介されています。
略)
慈しみの心 には 終わりがありません 。
いつでも 何かしら 希望 が生まれます 。
それは 生かす力 です 。あなたに向けられている 神様からの心 です 。
神様 からの 祝福 がありますように 。
終わり)
こちらの 文を 書かれました 関根一夫様 と同じく 祖母への 想いを 私も 思いました。
学ばせていただき、有り難う御座いました。
m(__)m







( 慈しみ深き 讃美歌 の 促され, ビジョンより )
*http://s.ameblo.jp/yellow-gold-888/entry-12185383154.html
ちょうど 、 6 / 3 メモ にも、こちらの ビジョン をみた 場面 、再び 繋がった 時の ことも、書いて 残っておりました 。
『 慈しみ , いつくしみ 』 について 。
の 促し 伝え 。 だった のでしょう ネ 。。
「 慈しみ深き の 讃美歌 」 は、私は【 星の世界 (よ) 】で、覚えており 無意識に 記憶しておりました 。振り返りから、ビジョンや 歌 促され よみがえりました 。
( ブログ載せさせていただきます。)
☆『 星の世界(いつくしみふかき)賛美歌312番 』
★『いつくしみ深き - Wikipedia』
★http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1155724216
より 「 歌詞の意味 」 学ばせていただきました 。
↓↓( 抜粋 )
「 やさしい 本当の友達 のような イエスは 、
罪 、心の迷い 、心配事 や心の悩み を 述べることに
負えない重荷 を おろしてくださいます 。
私たちの 弱い事 を知っています イエスは 哀れんでくださいます 。
悲しみ 、 悩み 沈んでいる ときに 祈ることによって 私たちを 慰めてくれます 。
本当に やさしい友達 の ような イエスは
いつも 変わらない 愛 を 持って
私たちを 導いてくれます 。
この世 で 友達 が 私達を捨てても 、
イエス様 に お願いすること によって 、
その 祈り に 応じてくださります 。 」
抜粋終わり)






慈しみ からで 繋がる もの があり、おもっていた ことを 書かせていただきます。m(__)m
祖母が 亡くなった 時に 、御世話になっておりました 御寺様の 住職 に つけていただいた 『戒名』 に、
慈 の 文字 を いれていただいだことを、記憶して おりました。
住職 は、御仕事柄 沢山の方々 法要 されます ね。
戒名 も、亡くなられた 時の [ 仏様の 御顔 ( 身体 ) の様子 ] から、御決めにな る。
と、聞いたことを 覚えておりました。
祖母へ 、「 慈 」 という 文字 を入れてくださったことも、亡くなられた 御方様 の [ 生前 の 生き方 が 亡くなった 時の 姿 に 集約 して みれる 。] ことを、話されていた 記憶がありました 。
私は 、その時から 、
人は 亡くなった 時に 、[ どの様な 生き方を してきたか? ]
が、周囲 の方や、自分に対しての おもいかた 、[ 全て が 解ること ] を 学ばせていただきました 。
慈しみ , いつくしむ からですが、
世の中は、 縦社会 , 物質社会 , であり、
人,モノ,お金,立場,地位,名誉、で 上下関係 があり、
比較や差別 がありますね。
上の者 には、ごまをすり、下の者には、八つ当たり、が 当たり前 の 世の中 です。
それが、全て 、一番 真下の者 「 弱者 」 に いきます。
前回の記事 続き となりますが、本当の愛 、まことの心 で おもう ことは、
そのような、当たり前の 社会 の 常識 (世渡り 術 ) ではなく、
一番 弱い 立場の者 を すくう 強い 心 をもった 方が、
真の マコトの者 だ と、いうことを
伝えたいのかも、知れません ね ...。
当たり前にある、理由を付ければ 、いくらでもできる、弱い者 いじめ 、ストレス発散 。
を、振り返る こと かも、知れませんね....。
そして、上に書いた [ 人,モノ,お金,立場,地位,名誉、] などで、誰かよりも
優越感や幸福感を味わうのが 、人間社会 でありますが、
これら 全て は、亡くなった 時に 、持っては いけない [ モノ ] なのですよね。。
私が おもう のは、 人は、
生前 に 何を 一番 大切におもい、 どの様な行いで どの様に 生きてきたか?
が、全て なのだ。と、思いました。
慈しみ , いつくしみ から 、 学び 、
そして、
おもうこと 、書かせていただきました。
有り難う御座いました。
m(__)m

