ペンキ缶、材木、拭いていないラジカセ、つかないストーブに極彩色の成人マンガやら硬派の雑誌、野球グラブ、バドミントンのラケット、そして何とも形容しがたい異臭を放ちつつある寝袋…
終日陽の入らないあなぐらの天井隅で、埃まみれの蛍光灯と、真新しい小さな換気扇が黙々と仕事をしている。
その前年に卒業記念品の希望を募ったところ、(卒業する先輩部員は必ず記念品を贈る習わしがあり、ラジカセ、ストーブ、成人マンガ…)満場一致で換気扇と決定した。取り付け作業まで先輩に押しつけた胆力のある後輩に恵まれたことはまことにもって幸いだった。
部員のあいだで嫌な咳が流行りだすそのタイミングで、年に数回の大掃除がおこなわれる。
組織への忠誠心を誇示し、あなぐら部屋でのステータスをあげるのには絶好の機会。
授業を理由に不参加を決める者は、引退時まで何かにつけて罵りの標的になることを覚悟しなければならないけれども…まあ、自分の単位まで犠牲にして献身しても称賛されるはずもなく、せいぜい、年に一度刊行される手づくりの部誌のネタのひとつとして消化されるだけなのだが。
部誌の発行には、3つの現実的な、時には切迫した狙いがあった。
学校公認のサークルには、さほどの額ではないものの、まあまあ舌なめずりしたくなるくらいの活動助成金が学生自治会を通じて支給される。その申請に必要な活動実績の報告書や部員名簿に添えて、部誌を提出しなければならないのだが、問題だったのは実は部誌ではなく部員名簿のほうで…
助成金額の決定は学生自治会内の担当部署に実質的な権限があり、活動の内容や実績や部員数をもとに査定がおこなわれる。部員数の水増し偽装などもってのほか。(後になって露見して、活動休止から解散に追い込まれたサークルがある。)
部員数が確定した後でもできること、前年からの増額、せめて減額されないためにできることといえば、その年の新入部員(1年生部員)をおだてたり、恫喝したり、なだめたり、あらゆる詭弁を自在に操って彼らを酷使して、可能な限り(中身は薄味でも)紙数の多い部誌を仕上げ、ほら、こんなに頑張っていますよとアピールするくらいのもので。
ところで、肝心な話、何をしていたサークルかというと、それはまた、いずれ。
部員名簿の問題とはもちろん数の水増し云々のことではない。
代表を含む幹事3名については、名簿に住所・電話番号を記載することが必須だったのだ。そのことの何が問題かというと・・・
「闇鍋」と言われていた。いや、学生みずからそう自虐するような大学だった。
朝はキャンパスの木立ちの高いところから聞こえてきた鳥のさえずりが、正午あたりになると学生たちの雑然とした往来の靴音にかきけされ、やがて笑い声、かけ声、歌声、嬌声、シュプレヒコール、そして罵声までが満ち潮のようにおしよせて来て、まるで自分が道に迷ってしまったかのような錯覚に陥ってしまうのだった。
それを目ざとく察知したか、素早く近づいてきてはビラを一枚押しつけてすぐに去っていくのは、政府を批判する者、政府を批判する勢力を批判する者、海外戦争を批判する者、戦争や貧困の原因は不信心という者、神だ、いや仏だ、いろいろな者がいて、実は他校の学生だったり、はたまた学生ですらなかったりする。学籍を持たずに無銭で講義を欠かさず受けていたなんていうのはまだしも、自治会活動を表立ってけん引していたというところがまさに「闇鍋」なのだ。
ヘルメット、、白タオル、ハンドマイクの完全装備で、来る日も来る日も構内の決まった場所でアジ演説をしているひげの濃い蓬髪の男を指さして、ある先輩が僕に言った。
「あいつ、3年前に○○大を辞めてここに来たんだぜ。」
「うちの学生じゃない。」
「みんな知ってる。職員だって知ってる。」
そのアジ演説が続いた2年間、大学当局と自治会の対立が激化したあおりで、授業は
たびたび中断され、教室ロックアウトの末、期末試験が取りやめとなった。
長身でがっしりとした体格の、ロマンスグレーのイギリス人教師が必修科目の英語を
担当していた。ゆっくりと易しい英語で英詩の解説をしつつ、自分の故郷(まったくの田舎)や母校(オックスフォードだったかケンブリッジだったか)についてユーモアを交えて話してくれるという、そう、イギリスへの憧れを誘うような、あるいはこの人はイギリス政府観光局か留学仲介業者の回し者ではと疑いたくなるほど母国への愛着が伝わってくる、そんな授業だった。
「学生自治会」の腕章をまいた若い男が突然闖入してきた。足早に教壇に駆け上がり、授業を中止するよう(英語で)要求した。イギリス人教師はその理由を問うかと思いきや(状況は把握していたのだろう、さすが、と思った)即座にこう言った。少し怒気をこめて。
「This is my class.not yours.」
ほう…とつぶやくような、ためいきのような声が教室の中で広がった。
まもなく誰かが、お前が出て行けよ、と声を上げた。
出て行けえ、と女子の声が聞こえると、教室中に笑いが巻き起こった。
それに観念したか、腕章男はすごすごと退出し、授業はすぐに、なにごともなかったように再開された。
日本人教師はことごとく要求に屈した。揉み合いになりそうな場面もあったが、たいていは大事に至るのを避けるためか潔く授業を中止した。毎日の休講掲示板が少しのすき間もなくびっしりと埋まっている、そんな時代だった。
学生自治会に住所をにぎられるというということは、日々オルグ(勧誘)の危険にさらされることを意味していた。執拗な電話も厄介だが、それよりも、変に気に入られた日には直接居所を訪ねて来るようになる…そんな時代だった。
なかには情熱にほだされてオルグを受け入れてしまう奇特な人物もいるのだが、少なくとも学生運動にシンパシーを抱ける人間は、「あなぐら部屋」に入りびたり、不健康で非生産的で享楽的で刹那的で、社会正義の実現にこれっぽっちの関心もないような学生生活を送ることはない。
あまりにもひたむきで好戦的な彼らと決してお近づきになりたくはないのだ。
しかし助成金を獲得するには生贄を差し出さなければならない。部員名簿の虚偽記載が明らかになれば、二度と助成金は下りないかもしれない。
三名の勇者を決めるために幹事学年(上級生)の話し合いがおこなわれる。
勇者にふりかかってくるのはオルグの危険ばかりではない。大学祭の実行委員となって、実行委員会=学生自治会に命じられた強制労働に従事しなければならない可能性があるのだ。
大学祭実行委員は全サークルからの立候補を優先するが、必要数に満たなかった場合はくじ引きがおこなわれる。なにしろ、もれなく強制労働がついてくるのだから毎年くじ引きになる。勇者はこのくじ引きのスリルを味わえる権利を押しつけられることになる。
くじ運のない勇者の伝説が語りつがれている。
自治会室のある学生会館の屋上で、午後から看板の制作を命じられた。
孤独な作業を黙々とこなし、ひと区切りついて飲み物を買いに階下へ降りようとしたところ、階段へ向かう出入り口の扉が開かない。逃亡を防ぐために鍵がかけられていたのだ。
弁当が出る約束だったので、気を取り直して作業を続けた。ケータイなんてない時代だ。
夕闇が迫って来た。弁当は来ない。すっかり陽が沈んだ。弁当は来ない。夜8時になった。弁当はまだ来ない。
雨が降って来た。出入り口の小さなひさしの下に看板を避難させ、それに寄り添うように震えながら弁当を、いや、扉が開くのを待った。
夜10時になった。
ようやく扉が開き、手ぶらでやって来た自治会の執行委員が、勇者に向かってこう言った。
「え、まだ看板できてないの?」
勇者を選ぶ話し合いは、あなぐら部屋の中で延々と、最終電車の時刻近くまで続く。危害が及ぶことがない下級生が経過をにやにやしながら見守っている。
あの時寝坊して遅れただの、作業をさぼって後輩女子といちゃついていただの、授業がなかったのに大掃除に来なかっただの、話し合いというより過去の失態や醜態をあげつらい大笑いしながら、
「あの時の埋め合わせは当然…」
「わかった。やる。」
という展開で決着する。
実は、大掃除をさぼった者、サークル内の禁忌(これについては、また、いつか)をおかした者は指名を拒否できないという暗黙の了解をふまえた上でのセレモニーに過ぎないのだが、そのことに触れるような真正直で真摯な人間はあなぐら部屋の住人のなかにひとりとしていない。
構内が落ち着きを取り戻すそのタイミングで大掛かりなアジ演説は消えた。それから、あの蓬髪男の姿を二度と目にすることはなかった。