戕官類記
(官吏殺害事件集)
同治の庚午年(1870)、私は揚州[1]
におり、丹徒[2]
出身の厳某という浙江嵊県の知県が突然役所内で理髪をしている者に殺され、同時に幼い娘とその乳母も殺されたという話を聞いた。その理髪師は知県の印を持ち出して、市場で踊りながら狂ったように歌い、精神病の人のようであったそうである。すぐに捕えられ、法律に照らして処罰された。
同じ年に、山東青州の知府の某もまた殺害された。青州には城守参將[3]
が置かれており、その配下のとある兵士は武芸も勇も資格も馬糧[4]
に抜擢される水準にあったが、突然、人に賄賂を贈ったという罪に問われた。たいへん怒って、参将をつかまえて腹いせをしてやろうと思った。そこで月の初めの日の夜、武廟[5]
の神座の下に隠れて待ち伏せをした。なぜなら、参将はこの日必ずお参りをしに来ていたからである。明け方になると三品官の官帽をかぶった人物が神前で跪いてお参りをしているのが見えたので、勢いよく飛び出して刺し殺した。よく見てみるとそれは知府であり、参将では無かった。すぐ後に参将がやってきて、彼は捕えられ、法で裁かれた。
庚午(1870)の秋になると、今度は張文祥が馬新貽を刺殺した事件が起きた。