第99話 戕官類記(担当いしはら) | 野記読書会のブログ

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清朝末期に官僚を務めた人物が民国期になって、清朝時代に見聞した事を書いた『清代野記』の現代語訳。
毎週日曜日に4話づつ更新予定。
底本は張祖翼(坐観老人)撰『清代野記』(北京:中華書局,近代史料筆記叢刊,2007年)を使用。中華書局本の底本は1914年野乗捜輯社鉛印本。

 

戕官類記

(官吏殺害事件集)

 同治の庚午年(1870)、私は揚州[1] におり、丹徒[2] 出身の厳某という浙江嵊県の知県が突然役所内で理髪をしている者に殺され、同時に幼い娘とその乳母も殺されたという話を聞いた。その理髪師は知県の印を持ち出して、市場で踊りながら狂ったように歌い、精神病の人のようであったそうである。すぐに捕えられ、法律に照らして処罰された。

同じ年に、山東青州の知府の某もまた殺害された。青州には城守参將[3] が置かれており、その配下のとある兵士は武芸も勇も資格も馬糧[4] に抜擢される水準にあったが、突然、人に賄賂を贈ったという罪に問われた。たいへん怒って、参将をつかまえて腹いせをしてやろうと思った。そこで月の初めの日の夜、武廟[5] の神座の下に隠れて待ち伏せをした。なぜなら、参将はこの日必ずお参りをしに来ていたからである。明け方になると三品官の官帽をかぶった人物が神前で跪いてお参りをしているのが見えたので、勢いよく飛び出して刺し殺した。よく見てみるとそれは知府であり、参将では無かった。すぐ後に参将がやってきて、彼は捕えられ、法で裁かれた。

庚午(1870)の秋になると、今度は張文祥が馬新貽を刺殺した事件が起きた。



[1]  江蘇省にある地名。

[2]  江蘇省にある地名。

[3]  正三品の武官。

[4]  原文は「応抜補馬糧」。馬糧は騎馬兵のこと。また歩糧は歩兵の事。楊継光「『清代野記』点校献疑」(『江漢大学学報(人文科学版)』295号、2010年)は、この部分の意味がわからなかったため、点校者が伐と撥を書き間違えたものであるとするが、誤りである。「抜補馬糧」という用例は他にも奏上文などに見られる。『世宗皇帝硃批諭旨』巻209上などを参照。

[5]  関羽を祀った廟のこと(清代以降)