恋愛至上主義(れんあいしじょうしゅぎ)とは、恋愛を人間における最高の価値と考える思想.思考形態を指す。結婚後であったとしても、恋愛の情熱が無くなれば別れることを選び、また他の異性と恋愛に走ることもやむを得ずとする主義である。

恋愛 至上主義の嚆矢となった北村透谷日本においては、明治時代の北村透谷の思想が恋愛至上主義のはしりである。北村は、「厭世詩家と女性」で、「恋愛は人生の秘鑰(ひやく、秘密を解く鍵のこと)なり、恋愛ありて後人生あり、恋愛を描き去りたらむには人生何の色味かあらむ」と主張し、恋愛至上主義の立場を鮮明にした。

透谷の思想はニューイングランドから渡ったものであり、キリスト教徒である北村が、恋愛に自由と理想を求めたことがこの言説の背景にあった。

大正時代、厨川白村はエレン.ケイの影響を強く受け、『近代の恋愛観』を著し、「恋愛は悠久永遠の生命の力がこもる」という言葉が当時の若者を魅了した。恋愛のない見合い結婚を「売春結婚」であり「畜生道」にすぎないと非難、日本には古来より「恋愛至上」の思想があると主張し、恋愛結婚を理想化して話題になった。

恋愛至上主義は、精神的な恋愛を神聖視して、肉体的な恋愛は否定する。そのような恋愛 を至上のものとするため、かならずしも結婚に拘泥しない。情熱が切れれば分かれなければならない。また、パートナーを得るかどうかも関係が無い。たとえ片思いであっても、心の底からの「情熱こそがすべて」であるのが恋愛至上主義である。

恋人同士の象徴「キス」グスタフ.クリムト作結婚は一種の契約であるため、客観性や第三者による検証可能性があり、また社会制度を構築する上で重要な要素であるのに比して、恋愛はそもそも閉鎖された二者間関係に特有の現象であり、検証可能性に乏しい部分がある。そこで婚姻や家族間の愛については正しいあり方としての社会規範が法.宗教.モラルにおいて確立されてきたのに比して、恋愛 については、文化により、また個人により各々解釈が異なり、文学や哲学の諸相において重要な主題、論題とされてきた。

ギリシャ哲学においてはこの感情をプラトン的愛(プラトニック.ラブ)として要約し、肉体的な性欲を否定するものとして昇華された。いっぽう中世フランスに起源が見られる騎士道物語においてロマンチックラブ(ローマ風の愛、「ローマ風」とは「ラテン風」が正式なものとされるに比して「民衆的.世俗的な」という語感をもつ)が発生し、キリスト教的愛(神との関わりに於いての愛)とは異なるもの、異風なものとして叙述されはじめ、やがてデカルトの二元論により漸く哲学的な地位を占めるに到った。

恋愛はまた、古来より多くの芸術、娯楽作品で扱われる主題である。例えば、ビートルズの全楽曲の歌詞を頻度分析すると“I”の次に“Love”が多い。海外はもちろん、現代の日本においても漫画や歌謡曲、文学、ドラマ、演劇など多方面で恋愛を扱うものが多い。

中世ドイツでは、今日一般的な恋愛関係による婚姻(恋愛婚)は9世紀に教会により非合法とされたので婚姻において氏や家が重要であった(ジッペ.ムント参照)。

スタンダールの『恋愛論』

スタンダールの分類によれば、恋愛には4種類あるとする。情熱的恋愛、趣味恋愛、肉体的恋愛、虚栄恋愛(「恋愛論」大岡昇平:訳)。どんなに干からびた不幸な性格の男でも、十六歳にもなれば(肉体的恋愛から)恋愛を始める。また恋は心のなかで、感嘆、自問、希望、恋の発生、第一の結晶作用、疑惑、第二の結晶作用という7階梯をたどるとする(同上)。あらゆる恋愛は6つの気質に起因し、多血質(フランス人)、胆汁質(スペイン人)、憂鬱質(ドイツ人)、粘液質(オランダ人)、神経質、力士質の、それぞれの影響が恋愛 の諸相に関与するとする。なお、スタンダール自身は『恋愛論』の序文(1826年)において、「この本は成功しなかった」と述べており、論の展開は「必ずしも理由がなくはかない」と告白している。

世界の恋愛

現在では大抵の国では恋愛は自由で素晴らしいものと考えられている。お互い惹かれあっても日本のように彼氏、彼女という風な関係になることはなく、ボーイフレンド、ガールフレンドという友達の関係に留まる。ただしどこの国でも交際は男女の2者間の関係が基本で、ポリアモリーは少数派である。両者が親しくなると同棲により生活を共にし、問題がなかった場合婚約するのが一般的(例えばスウェーデンでは結婚したカップルの99%が同棲を経験している。これは事実婚に寛容な文化を背景にしている)なので、日本のように告白を経て彼氏彼女の関係になるが、生活は別々な上たまに遊園地やレストランにデートに出かける程度で再び告白を経て婚約するということはない。

イスラム諸国では現在も恋愛は不道徳なものとされている。ユダヤ人の間では、恋愛は行ってもよいが恋人同士で積極的に意見を交換することを教え、恋愛にのめり込み過ぎることは破滅を意味するとタルムードで教えている。

女性誌を読んでいると、「セックスをすれば痩せられる!」という謳い文句を見かけることがある。これがもし本当なら、快楽を味わえて、スタイルもよくなるわけで一石二鳥なのだが、これは本当なのだろうか?

確かに性交 後に味わう疲労感は、普通の軽い運動などよりも強いものであるが、実はセックスで体はそれほど疲れていないのだ。疲れていると感じているのは、むしろ脳のほうなのである。動物は交尾のあと、受精を促進するためにできるだけ活発な運動を避けるほうが子孫の繁栄に有利である。そのため、体が動かないように、脳が全身に疲労感の信号を送るのである。もちろん、これは人間にもあてはまる。

よほど頑張っても、1回のセックスで消費されるエネルギーはせいぜい300キロカロリー程度が限界といわれる。通常の食事だったら1回分すらも消費できないエネルギー量である。さすがにセックスにダイエット効果があると結論づけるのは難しい。

ちなみに、「セックスで肌がきれいになる」という話もあるが、こちらは本当である。これは女性ホルモンが分泌され、ホルモンのバランスがよくなるためである。ただし、目に見えるほどの効果が現れるかは個人差がある。

やはりセックスは、愛の確認やストレスの軽減など精神状態をコントロールするほうに重要なのである。それ以上に、過度の美容効果を期待しても、それほど効果は望めない。