前回に書いた大鹿村のことを、
もう少し書きたくなりました。

旅に出たら
その土地の歴史や文化を知ることが
とても重要だと思いつつ、

観光地を回ったり、
ご当地グルメを食べて終わってしまうことが多いのです。

しかし実家の両親も一緒だった
今回の旅は違いました。

父の一言で大鹿村郷土資料館、
「ろくべん館」へびっくりマーク


ろくべん館の名前の由来は、
大鹿村に残る5~6段重ねのお弁当箱を
「ろくべん」と呼ぶことから来ています。

歌舞伎を観る時やハレの日に
このお弁当箱が大活躍しました。

おかずを引き出しごと
人と交換したりしたそうです。
楽しい~♪



それから大鹿村を含む伊那谷は、

養蚕がとても盛んで、
南北朝時代からの記録も残されているそうです。

養蚕業に使用した道具



南北朝時代と言えば、
後醍醐天皇ですか・・?

大鹿村は後醍醐天皇の皇子、
宗良親王の本拠地でもあったようで、
歴史的にもなんか凄い所です・・・


こちらの歌舞伎の衣装は、
昭和初期の物の乏しい中で、
あるものを利用して村の方々が仕上げたものです。



戦時中は男性が戦地に行ってしまったので、
女性たちで村歌舞伎を続けていたとのこと。

300年もの長い間、
伝統文化を継承して来た村の方々のご苦労と、
熱い想いを感じました。

農具もたくさんありました。
いつもだったらふ~ん・・
と見て終わりですが今回は違いました。

なぜならそれらの農具の使い方を、
詳しく知っている人がそばにいたからです。

それは両親です。
生家で農業と養蚕業を営んでいて、
家でこれらの農具を使っていたと言います。

これで縄を編みます。
足ヒレみたいな2か所から
藁を差し込んで下を踏むと、
縄になって出てくるそうです。



むしろを編む為の農具


収穫物とゴミを分ける農具。


手前は脱穀機
味噌作りの大きな樽もありました。



当たり前ですが、

電気を使うものなんてないのですね。
全部手動・・・

昔の人はよく考えて、
器用に何でも手作りして
本当に凄いなぁと思いました。

父も母も子供時代は、

まさにこの写真のような生活だったといいます。


まさか自分の両親が、
このような時代を過ごしたとは・・・

わかっている様で全然わかっていなかった、、

そしてそんな時代からの、

現代日本の大きな変貌にも驚きます。

子供時代から便利で快適な生活に
どっぷりと浸かっている私。

大鹿村の長い歴史に、
深い文化に
触れたせいでしょうか・・・

京都の短大時代に、
灰谷健次郎先生の講演会で、
先生がおっしゃった言葉を思い出しました。

「いつの時代も文化は大事。
しかし文明は発達すればするほど
人間をダメにする」

 

今は亡き灰谷先生の強い口調と、
その瞬間の、
怒りに満ちたお顔が忘れられません。

 


ろくべん館から外に出ると、

目の前を大きなダンプが何台も走っていました。

リニア中央新幹線のトンネル建設の為に、

日本で最も美しい村の一つ、
大鹿村を走る残土運搬ダンプです。

大鹿村だけではありません。
私の実家、飯田市も、
リニア沿線各都市で、
史上最大の環境破壊と言われるこの工事。


経済優先の文明の中で、
私たちは一体どこに向かっているのだろう・・・?

 

 


ライ

 

 

次回の明科笑いヨガ&呼吸法クラブ
ラブウェーブの開催は、
6月11日(火)です。

 

安曇野市明科公民館1階和室 ←※部屋が変わります

13:00~15:00
持ち物  水分・ヨガマットかバスタオル