明治38年7月7日に始まった樺太作戦が7月31日に終結しました。

 

この辺の専門家ではないので、詳細は日露戦争史でも読んでいただくとして、あの作戦は戦後のことを考えると非常に重要だったと思います。

 

というのは不凍港が何が何でも欲しいロシアにとっては千島列島と樺太は絶対残しておかなければならないところで、日本が開港時に条約で千島列島を日本に明け渡したというのは、彼らにとっては大失策でした。というのは太平洋に出ていくのに千島列島の隙間を通らなければなりません。

 

ですのでろくに地下資源もない島でまともにそう産物も育たないところに無理矢理人を置いているのは、そこを防衛するためであり船を運航させるための灯台守みたいな位置づけです。そこにはロシア革命で政治犯とされたウクライナ人を強制連行したというのは有名な話ですが、今もウクライナ人としてのアイデンティティが残っていればいいんですけどね。

 

当時の日本としては、さらにその奥を叩いたというのは沿海州まで包囲網を作ったという意味では大成功でした。

 

その後は、大東亜戦争で日ソ中立条約破りをされて真岡郵便電信局事件という形で壮大な仕返しが待っていたわけですが。まあ自分がそういう条約破りを自らやる以上、自分の所にいつ攻め込まれるか分からないという加害者のくせに被害者モードに入るのです。

 

それで嗤えるのは、ロシアはこれまで散々プロパガンダでアメリカの原子爆弾を揶揄してきました。例えば、アンドレイタルコフスキーの映画の「惑星ソラリス」の中で、探査船に宇宙生命体が乗り移ってみたいな話がありますが、それに対抗するために核兵器を使うべきだという話に、広島と長崎の話をぶっこんできます。

 

これに限らずプロパガンダで散々やってきたのですが、ここにきてプーチンが核兵器の使用をほのめかし始めています。国民性というのは100年経とうがそんなに変わらないということなんでしょうか。あの国は基本的にビビリなんです。自分でやらかしておいて、後から後悔してビビるタイプと言っていいでしょう。歴史を学ぶには十分な動機になりますね。