農業は五穀を作り出して、天下の命を養う恩がある。工業は建物や機械などを作り、商人は貨幣を運用して、世の中の養う助けをしている。

 

そうはいっても政治があって天下を治めるなければ、今日のこのような平和はあるだろうか。君主が心配しているの民のためである。これは天に代わって民を憐れんでいる理屈である。これは莫大な恩徳である。深く尊んで仕事に精を出し、道を勤めて御恩に報いなさい。君主も民に養われることを理解して、深く憐れみなさい。恩義の事は間違っても疎かにしてはいけない。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

農業はやり方次第では儲かる職業なのですが、離農者が多すぎます。新規就農者が60歳以上ではさすがに新規のことをしようという人が少ないのはし難いですが、やり方次第ではもっと儲かるものだと宣伝できないもんですかね。というか、農学部でもっと効果的な生産方法と、儲かる流通経路の研究をやったらいいのに。実は平成の中頃まで農業経済と言えばマルクス主義の巣窟だったんですよ。実に酷い話で、共産主義的被害妄想からは何にも生まれませんて。

 

さて、今の時代に置き換えると君主は政治家ということになるでしょうか。そうなると、この話は若干変更しなければなりません。今や政治家がただの職業の一つになってしまい100年先のことを議論できる人が減ってしまいました。この原因の一つに公民権の設定にあると思います。100年先のことをきちんと考えられる人、歳費なんぞもらわなくてもやっていける人が政治家になるのが本当は理想だと思っています。だから、公民権に所得制限がある事というのはある意味妥当かなと思っています。

 

これを声高に言うとポリコレ棒でぶん殴られそうですが、決して不平等ではないと思います。選挙権は所得税10円が昭和の初期の制限でしたが、今で言ったら1万円にも満たない金額なんですよ。被選挙権はもっとあったような気がしますが、こんなのバイト君でも稼げる金額ですよね。年金でも所得税引かれてますよね。払えない人は逆にベットから起き上がれないような人なんです。

 

思考実験として公民権の所得制限というのも考えてもいいかも知れませんよ。国民としての義務を果たそうとしない人、特に悪質な脱税者は、選挙権なし、被選挙権は永久になしでもいいと思っています。