町人の家では、寝ても覚めても商売の工夫を考えなさい。金持ちになったとしても驕りはしないようにしなさい。今の有難い世の中に生まれたこの嬉しさを思ってみれば、万が一この国恩に報いれば、せめて祈祷でもしようかと思っても、家が貧しければそれもしようがなく、ただ空しく春は霞を汲んで花を愛し楽しんでいれば、夏が来て炎天下の苦しみ、秋風が吹いて涼しく月の曇りがないのを眺めて、老いの気を伸ばす間もなく、木の葉が落ちてもののあわれを鳥の声とともに司法の山々は白くなっていき、ただ火を頼りに年の暮れを指折り数えていくのみである。一つとして思うままにはならず、一年三百六十日ただ食いつぶしていくのみである。

 

無限の天地の恩を受けていることを思うたびに感じることは、やはり農作物のことを詳しく各地方の老農に質問し、人に教えることが、自分の分相応の報恩に当たると思いついた。このときから心掛けて、現在相談相手となっている。

 

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若い頃はあれもやれるこれもやれると思っていても、いざその年齢になってみると何にも形にできていないことに愕然とします。世間から見ると立派なもんだと思われても、当人にとっては何だかなぁという感じでいっぱいというのがほとんどの成功者なのではないでしょうか。

 

成功者と言われている人ですらそうなのですから、凡人はもっとその感覚は強いでしょう。

 

問題はそこで絶望というか、郷愁というか、今更どうしようもないことに延々とぐちぐち言ってたところで何も変わらないどころか、ますます人生の価値は下がって行きます。この著者のように途中で、これをやるのが少なくとも世間の役に立つと思い、そこに注力できたというのは幸せな事じゃないでしょうか。

 

特に定年間際のおっちゃんたち、人生を見直してみるのもいいかも知れませんよ。このままダラダラと定年まで迎えるというのは、当人にとってはしんどいことだと思います。