安政5年(1858)に日米修好通商条約にもとづいて、横浜と長崎がアメリカの船舶について寄港を許した日です。もしこの開港が遅れたらどうなっていましたかね。諸外国の嫌がらせがもっと酷くなって、実際に沖縄と北海道は占領されていたかもしれません。

長崎は、山がちなところで水深が深く、大型船が寄港するには非常の良い所、一方横浜は砂浜だったところで、当初は長崎の方が圧倒的に貨物扱い量が大きかったようです。

 

長崎については九州鉄道の開通が最後のほうだったので、開通した途中の地域からはほとんど博多港に行ってしまい、長崎は衰退してしまいます。この鉄道の順番が長崎を起点にしていたら、長崎はもっと発展していたかもしれません。

 

横浜については、神戸港の方が圧倒的に荷物扱い量が大きく、神戸の震災までは比較になりませんでした。あの時に一挙に韓国の港に取扱量を奪われてしまいました。大きくて便利だからと特定の所に依存することの危険性を体験したのです。

 

仮に長崎で陸揚げしようとしても、クレーンの数と燃料補給能力、タグボートの数等々に限界があり、また陸揚げしたとしてもその後の陸上輸送で鉄道網の安定運行の問題から実質的には難しかったと思います。ということは、普段から分散して港を使うことがいかに重要かよく分かります。何がきっかけで優劣がつくか分からんもんです。

 

実際には運送料金の問題があるので、そう簡単に行きません。こういうのは国家戦略を立てないと難しいでしょうね。