とにかく人の道は五常を守ることで、充分である。これは学者のかたもよく仰っていることであり、有難い道である。これを守らないのは野獣のようなものだ。また自分を映し出す鏡がなければ何事も分からないものである。心をよく研ぎ澄ますとき、自分の行いの悪さは、自分ではわからないものだ。その曇りが出ないようにするために、普段から行いの善悪を他人に尋ねる以外はない。悪を聞いて喜んでいるとき、悪を改めさせて善を勧める者には褒美として相応のものを与えて使えば、次第に鏡は光るようになって、自分の善悪を居ながらにして分かるようになり、家族や仲間をどのように扱うか分かるようになる。

 

自分の良い事、または清く潔い楽しい事を聞くことだけを喜びとして好むようにしていけば、下にいる者達との気が合うようになり、言うことがどんどん現実化するようになる。

 

悪いことを聞くことばかり楽しんでいたら、忠義のある者達は減っていき、忠言はあまり言わなくなる。

 

家のため、身のためになることは面白いことを聞くのとは違い、気に障るものだ。その面白くないことに、ためになることがあるので、特に柔和な態度で下の者が言う事を聞きなさい。

 

全てのよいことは自分の行動次第であるといわれ、自分の生活態度をよくすることは、天地の道に通じる。これが主人として行うべき最も重要なことである。

 

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これは子供であってもそうですね。余り頭ごなしに物を言うと、子どもは話をしなくなり、グレます。自分が言ったことはすべて否定されるとなるとそうなりますよね。

 

子供は表現が不自由ですし、物を知らないからといって、馬鹿ではありません。まるっきり善悪を判断できないかというと、そうでもないです。衝動的に行うこともありますが、大概根拠があって、なぜその結論に至るのか大人とは違った思考を取っていることが多いのです。親子であっても、別人格の人間ですからね。

 

これは部下を扱うときもそうですよね。アホか!と言いたくなることもありますけど、否定せず最後まで言わせるというのは、慣れるとできるようになりますよ。