もし浮図[1]が心のように日本国の神社がみな胡鬼[2]に替われば、君主と臣下の上下関係が壊れて、父母兄弟も恥じることなく、犬猫のようになって、西戎[3]のようになってしまうことは間違いない。

伊勢の両宮に坊主が来るのを嫌うのは、神の御心がこのようであるからだろう。神事や祭礼が盛んになって、今国家を治めれば神の国の道は衰えず、天の神のみとは明らかになり、天照大御神をお守りする国であるならば尊ぶべきである。

 

天照大神がお祭りする心化の三女神[4]ですらも浮図が弁財天にしてしまった。安芸の国の厳島大明神を弁財天というようなものである。この神は天照大神が天下を守らせる心化の神であり、神道の神道たるゆえんである。知りながら仏の名前を付けるのか分からないが、外国の神である弁財天の名前をつけて神を穢すのは非常に宜しくない。

 

教訓物書物類製本所  三条通御幸町角

   京都書林    吉野屋甚兵衛版

 


[1] 仏教徒のこと

[2] 外国の神

[3] 古代中国人が西方の異民族をいやしんで呼んだ名。

[4] 沖津宮の「田心姫神(タゴリヒメ)」、中津宮の「湍津姫神(タギツヒメ)」、辺津宮の「市杵島姫神(イチキシマヒメ)」のことか。

 

後半になるほど神道原理主義者になっていき、しかも聞きかじりっぽいものが増えてきて、訳が分からなくなってしまいました。著者も前半だけで終えておけばよかったものを、本の厚さとかそういう事に気を遣ったのでしょうか。少々残念です。

 

ということで、福神教訓袋はこれで終了です。