世の中で恵比寿と称して大国様と同じように福の神として祀るのは、大己貴命の息子である事代主命のことであろう。この神は日本で忠孝の極みの神である。昔高皇産霊尊から大己貴命元に経津主神と建御雷之男神二柱の神は使いとしてやってきて、その国を差し上げるようにと言ったところ、大己貴命は自分の子供に聞いてから答えると言って帰って行った。饒速日命という使いを熊野の両手に船を載せて、事代主の命は出雲の国の三穂という所で釣りをしているところに行かせた。その旨を伝えて、さあどうしましょうかと仰った。事代主は父の使いに向かって、「天の神からのご命令であるならば有難いことだかた戦うまでも。ない。父は早く去るべきである私がどうして父に反抗することがあろうか。さあ、行きましょう。」といって、海の中に柴垣を作ってそれに乗って船のように使って去って行った。

その使いはこんな様子だったと父に報告すると、大己貴命もそうだろうと思った。つまり子供の言葉を頼りにして、子どもが言った言葉通りに直ぐに去っていった。また自分の子供と同じように百には足りない八十隈路[1]に隠れた。親子の志羽山よりも高く海よりも深かった。特に事代主の命の忠孝は金石を貫き[2]天地を通った。後に神武天皇の外舅となって、神祇官八神殿の祭祀を行いになった。魚を釣っている姿は楽しいことをもって事代主の証拠として天離夷[3]に住むので夷と称したのだ。都を離れて田舎に住んでいる人を見な夷という。

 

大国、恵比寿親子を一つに祀るのは、忠孝の道を貴ぶからである。言ってみれば、父子が互いに頼れる忠と孝と恩愛が厚いことを人が習って、父子が仲良く心を一つに道を守りなさいということだ。

 


[1] 多くの曲がり角を通って行く遠い道。

[2] 堅い岩を通す

[3] 空のむこうに遠く離れているの意味。

 

どういう文脈でこの話が出てきたのかよく分かりませんが、恵比寿屋なので恵比寿(夷)のことについて少し話をしましょう。

 

イザナキノミコトとイザナミノミコトが地上に降りて、最初にできたのが不具の子で、いつまで経っても立てないので海に流す。それがヒルコ=蛭子という説があり、海難事故で死んだ人を恵比寿さんとして扱って葬ったという説もあるようです。その代り、流れてきた荷物を戴いちゃうわけですが。

 

記紀自体が様々な民族の神話をごっちゃ混ぜにしたという説もある(イザナギが黄泉の国から逃げかえってくるところが、ギルガメッシュ叙事詩と似ていますしね)ようですので、もしかしたら本来は別物でたまたま呼び方がエビスだっただけなのかもしれません。