他人を欺き、人から貪り取り、栄えたとして、義から外れた利益を得て金持ちになったとしても、一代、二代、三代と金を持っている例はない。昔から金持ちの泥棒がいないことをもって理解できるだろう。僅かでも正しくない、正直ではないことがあれば、神を穢すことだと思いなさい。神を穢せば幸いはない。

 

金銭は天下を巡り、本来は人を助ける存在である。だから宝と呼ばれ、日月に次ぐくらい重要なものである。だから無理して蓄えていくのは、金の本来の存在意義から外れているだろう。必要があって飢えから人を救うための備え以外に貯めるのは、金の存在目的ではないので、必要な備えも出て行ってしまうだろう。こういうのは金の存在目的に合わないからだろう。金を持っている町人が全ての金を家に貯めておいてはいけない。そのうちの七割、八割は人に預ける、こうすれば金の存在目的に合うので禍は起きないだろう。そうはいっても、利子を多くとろうとするのは神を穢しているのであって、人を助ける金の存在目的に背いて損をする人が多い。

 

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このブログで何回か書いてきたケチの権化がいました。居ましたというのは。もう付き合いが無くなって10年、当時82歳ぐらいだったかなのでもうこの世にはいないかもしれません。

 

このケチの権化は、東日本大震災のとき使わない家電を整理していました。「使わないなら避難民にくれたらどう?」といtったら、「そんな勿体ないことするもんか!」と本気で切れたのです。これには驚きました。この人、某上場企業の主要株主になっていた人ですよ。個人でコツコツ買いためてそこまできた人なのですが、こういうケチ。しかも他所から公共物を持って帰ってくるような変な人でした。

 

町内会の祭りにもろくすっぽ会費を払ってないのに、祭りの出し物を一通り貰ってくるようなおかしな人で、結局地元の人とも喧嘩してたんじゃないですかね。この人は結局文字通り守銭奴でした。多分相続税でえらいこと位なってるんじゃないですかねぇ。

 

そんなため込み方するくらいなら、まだ誰かの役に立ってくれた方がずっと良かったでしょうに。