じっくり考えて起こす行為には悪もあり善もある。その良し悪しの動き初めで自ら知ることになる。その知ることは胸の中の神が照らしていただける。その善に従えば神の心に従うことになり我が神を敬うということだ。悪に従うのは神を穢す者である。我が神を侮り穢すので、やることなす事、条理と異なってくる。上手くいかなくなるのは、自分の神を穢しているからだ。

 

『中臣の祓[1]』『三種の祓[2]』の二つは、悪を祓う事である。だから、神前で読み唱えて自らを守ることで祈祷するのだ。こういうことから、祓いは悪を払いのけることで、つまり祈祷の方法であり神垂冥助があると分かるだろう。悪しきものを払いのけずに神に祈ったところで、何の助けがあるというのか。

 

今の人は、祓いというと禰宜や神主が神前で祓いの文を読み唱えて祈祷する事ばかりと思っているのは残念なことだ。知らないのであればどうしようもない。これはよその国の教えに我が国神道に詳しくないのが原因である。祓いは神事と人事の両方について、悪の穢れを取り除き神明に至る方法であるので、少しも忘れてはならない。

 


[1] 別名、大祓のこと。

[2] 吉田神道ゆかりの秘詞(ひし)で、天津祓のこと。