戦後日本は飛行機を作れずにいました。戦争をさせないため、多くあった飛行機制作会社をGHQが片っから潰し、やっと解禁になったときには設計技術者に製造技能があった人もいなくなってしまい、やっとやっとギリギリの人員を集めて企業連合で作りました。
その意味では、YS-11は経済的独立の象徴的な側面を持っていました。
機体の引退が決まり、完全撤退する前に一度乗ってみたかったのですが、結局乗れずじまいだったのが残念です。
この後も、飛鳥でその技術を継承しようとしましたが、量産に至らず。
そして、三菱のMRJ。
企画発表と同時に三菱重工の株を買いましたよ。しかし・・・形式免許の壁は厚かったというか、明らかにアメリカの嫌がらせというのが見え見えで日本は部品屋さんでいいんだという扱いでした。
これにめげずに頑張って欲しいな。