場所はどこであっても一際春めくと、人の心が浮きめいてくる。淀屋橋を渡って、中之島の様子は静かに風がとまり、福島川の蛙の声高く、雨は唐傘が湿るほどでもなく、様々な相場も落ち着いて、米市場に出てくる人もなく物寂しい。

 

掛硯を脇において算盤を枕に、米の相場の予想を中断する。米の評判は様々であるが、近年白人(しろうど)という新米が出てきて、今日と大坂で評判になっている。

 

昔から、ありきたる遊女は頻繁に客を取って真面目に勤めるのはおかしいことではない。とにかく、白人を女が良いと言い始めてから、流行はじめた。始めこそ白人であろう。今や遊女や夜発[1]たちが、タコズレができるような黒人[2]たちを相手にしているので、はじめての初々しさがかわいらしいと可愛がっている。考えてみると、今時分の人は遠くばかりを見て、目の前のことは賢そうに振舞って見せるが、自然と責任逃れをすることがいいように思える。

 

大津の油屋で油を絞らせ、それをすぐに京都には持っていかず難波に回して、大坂の油として売っている。これは、都には下油が人気でわずかしかなくてもよく売れるので、大津油が難波の港を見物して京に上るという。

 

とかく油断がならない今時の商売人。

 

木綿売りは愚かを装って、作るだけ作って、身なりを田舎風にして、木綿を五六疋竹棒にかけて河内から来て売っているようなふりをして、客にからかわれるようなふりをしてしたたかに稼いでいる。

 


[1] 夜の辻中で客を取る売春婦。

[2] ここで言う白人と黒人は、素人と玄人をかけているようだ。

 

相変わらず話の枕は難しいです。この当時は何が流行していたのか分からないと、何が何だか全く分かりません。

 

ただ、ここでは産地偽装の話が出ていますよね。近年では、イタリア製といってもミラノあたりに中国人社長が経営する会社で密入国した中国人が作って、イタリア製として売っているものもあり、日本でも同じようなことが起きているようです。法律上産地偽装ではありませんが、どうなの?ということも。