幸いが得られても喜ばず、禍があっても悲しまず、どんなことがあってもそれに染まらず誠の人になりなさい。人がものに左右されて今生きている人はいない。物に染まれば死に、染まらなければ生きる。

 

庭田従二位時賢の長男である。正二位中納言であった時に、人は鈴虫の中納言といった。法名の阿寂を正仏を改めた。母は佐々貴の正嫡の娘である。文永九年[1]七月十一日に六十九歳で亡くなった。

 


[1] 西暦1272年

 

この人は歌謡の名手で後深草天皇の師範で、その美声から鈴虫の中納言と呼ばれたようです。

 

何があっても淡々としなさいと。まるで失感情症(アレキシサイミア)

 

 

みたいな感じに見えますが、激高したり、悲しんだりして本質を見誤ることがあってはいけませんよというのが、中心論点でしょう。

外国人からすると日本人は本気で喜んでいるのか、悲しんでいるのか、感情が見えてこないと言われますが、たぶんこの価値観の問題でしょう。

 

隣の国では、わけの分からない感情の発散をよくやっていますが、さすがに他の国でもドン引きされているようです。

 

ヨーロッパやアフリカから見ると東アジアにあって、同じ文化圏にあると思われていますが、一緒にして欲しくないなぁ。