小さい事でも常に足るを知る人は、限りない大福の人である。小さい事に満足しない人は、限りない貧乏人である。

 

醍醐侍読遣唐使、外記式部の大輔、従三位左大弁、中納言。母は長谷寺で承和十一年[1]五月十五日に懐妊、延喜十二年[2]十二年三月十日に六十八歳で亡くなった。孝元天皇の二十二代弾正忠貞範朝臣の息子である。

 


[1] 西暦844年

[2] 西暦911年

 

斎藤一人さんの動画を見ていると、よくこのようなことが言われています。

奇跡を起こすために、小さいことに喜ぶことから始めよと。そうすると脳の中の思考回路が変わり、否定的な思考から肯定的に変わる。それが安定すると、本格的に奇跡が起こるというようなことを言っています。

その一方で、文句ばかり言う人は逆に文句を言いたくなるようなことが次々と引き寄せられると。だから、ここでいっているのは、小さいことにすら喜べないような人は、いつまでも貧乏人のままですよと。

何となくわかるような気がします。何かと対立構造を言いたがる人たちは、自分たちは虐げられていると言いたがります。差別だ、苦しめられていると。どんなにしてもらっても、こんなんじゃ駄目だ、もっともっとと。

こういう人たちはどんなにして貰ってもお礼を言うことはありません。ましてや政府や自治体に対しても決して言いません。それどころか、もっと出せと。

夫婦間でもそうでしょうね。