人々よ、外側は丸くても神徳は角があるのだろう。直な心で健やかに過ごし、剱のように危険であってはならない。私は軍神の最上として、この日本の天下が長く続くように守ろう。この国の外から攻撃があったとしても、私は軍旗を持って心の奥、心から消えよう。人々が幸運を祈るのであれば、生きる方法を語り滅亡から救う。祟るをつぎ、衰えを憐れみなさい。この国の者たちは、皆神は兄弟であるかのように思い、国外だからと言って貶めるようなことはしてはならない。西方で限りない命を仏という。今この国で天照大神の詔を受けて国家の安全を祈るものである。

 

人皇の十五代、父は息長宿禰王で、その娘である。母は、葛城高顙媛(かずらきのたかぬかひめ)である。皇后元年、三十三の摂政を四十年勤めた。仲哀天皇二年に皇后となり二十四年、六十九年の治世であった。諱は息長足姫。十一年に住吉の神が現れ、六十九年四月十五日百歳で崩御した。

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神功皇后が仏教の話をする?時代に合わないのでは?と思って調べたところ、公式に仏教が伝来したのは522年あるいは528年としており、それ以前から入っていたという説もあるそうです。

神功皇后は摂政とは書いてはありますが、これもまたいろいろ説があって三韓征伐で活躍した事実上の天皇だったそうです。神功皇后の母親は新羅の出身らしいので、親戚を助ける感覚だったのかもしれません。この当時は、新羅と日本人は通訳なしで会話ができたようです。今の朝鮮半島は、モンゴルというかエベンキ族というか遊牧民系の血筋が強く、別物だったようです。

この辺りは、遺伝子研究でかなり明らかになってきているようなので、今後の解明が楽しみです。

 

外国だからと言って毛嫌いするなよ、ちゃんと兄弟のように憐れんで付き合って欲しいとあります。まあ、ただ話が通じる相手にはそれでいいのですが、もう訳分からない国ってありますからね。