我は武略の健将である。末世の大将である者は、常に我が名を唱えれば、必ず神力を加えて天下にとどろく武将にしよう。

 

伝わるところによると、高良は武内宿祢[1]である。孝元天皇の五代孫であり、官位に就いていたのは二百四十四年、死去したのは二百九十有五歳、あるいは仁徳天皇五十五年である。

 


[1] 景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣である。

 

京都にある高良神社なので、石清水八幡宮の摂社でしょうか。

武内宿祢といえば、戦前にお札の肖像画になった人で、三韓征伐で大活躍しました。