一 この本は識者が読むような本ではない。自分の息子娘がただ無駄に飲食して、天地の恵み米穀の大切さを気にも留めずに飲食するので書き綴ったものである。友人たちが進めるに任せて、出版するものであるので、やんちゃな子供たちのためのもので、見識ある人は笑うかもしれない。

一 私の家職は書籍商ではある。書籍の中に住んでいるが、文章に書き方を学んだことがなく、和漢の今の本も昔の本も多いので、その本の題名さえ暗記するのも難しく、文など書き綴ることや、私のようなものが全く及ばないことではある。父が普段から言っていたことは、大した能力もないのにただ飯を食うな、穀物の恩を忘れるなといった教えを書いて、書籍商の立場を使って識者に近づいた。聖人の言葉を私の愚かな耳に引っかかったものをつまみ食いのように記録して冊子にした。

一 この草紙の文章の中にいわゆる稲に混じって生えてくる稗や粃[1]の類に似ず、糠や糟のような言葉が多ければそれを捨てて、精米した米穀である聖人の言葉に合わせて、味わい深いものにした。いうまでもなく、誤字や仮名遣いの違いなど、イナゴが飛んでいるかのように多くあるかもしれないが許していただきたい。ただ子供たちの目に触れれば、穀物の恩を思い、無益の飲食をしないように、また朝夕の穀物の恵みに感謝して食生活を正していただきたいと、これが願いである。

 

享和三年亥年正月  中川有恒

 


[1] 中身の入っていないモミ。

 

発凡とは、目次のことなのですが、また序文かいなと思えるくらいのものになっています。この当時は結構形式にこだわらず、やりたい放題で当て字が多く、慣れないと難しいところです。

 

さて内容ですが、ミシュランガイドブックの対極にありますね。

でも、やるなということは美食が蔓延していたことに他なりません。

料理百珍

 

今と違ってどのタイミングでどういう材料を入れるのかが書いてありませんが、結構参考になりますよ。