木枯らしの音が寂しく、月さえも冷え冷えしている夜、親しい老いた友人の元へ訪ねて言った。仲間が四五人炉端に集まって、道の草に露ほどの大したことのない話をしていた。生活の浮き沈み、何がよいかなどと語っていたが、横から言い出したものがいた。

「これまでいろいろ見てきたが、商人ほど軽い奴らはいないよ。私が知っている人なのだが、若かったころある人のところに養子に行ったのだが、養父から元手銀百貫目[1]と三四軒間[2]口の家を一軒貰い、だんだん稼いでいって、三千貫目の財産なった。さらに家を大きくして栄華を極めて繁盛するにつけて金銀だけを考えて、それを増やすことばかりやっていたんだ。その後二十年の間に増えていったのはさておき、様々な損失が続き、果ては養父から譲り受けた家まで売って、後で多くの借金を残して苦しんだ人がいる。その上、子供に相続するものすらなかった。この苦労の原因を考えると、養父が譲った資産の他千貫目稼いだが、却って仇となったのではないかと思うよ。もう一つ、近江の知り合いは一代で数千貫目の財産になったのがいたんだ。六七年前までは火が燃えるような勢いで繁盛し、年々田畑を買っていった。そこらの田畑を彼が買うかと思うくらいだったが、最近聞いた話では裸で多くのものを背負って、借金にはまった。彼も借金から浮かび上がることもあるかといろいろやってみたんだ。こういうのを見ると、金銀財宝は役に立たないものだよ。だからと言って金銀がなければ、生活できない。世間に財産を立て直すということもあるが、先に言った二人のように財産丸つぶれになったときも、財産の回復のしようがあるのか。」と質問したが、亭主の答えは

「尋ねなくても、言おうと思ったことを聞いてくるねぇ。」

「まあまあ、言おうとしたことを語ってくれよ。」

 


[1] 1貫目が現在なら110万円なので、11億円ぐらい。

[2] 一軒1.8mで間口の広さで課税していたので、この当時としてはかなり大きな家である。

 

こんなに稼げたとなると、廻船問屋でしょうか。当時の海運業は荒々しい海の野郎どもだけではなく、かなりぼったくりだったようです。北陸地方から堂島の米会所までの輸送費で25%、俵で運ぶので米がこぼれますがそれを横流し、運んでいるものが壊れたと言っては横流し、ちょっと大きな船で朝鮮半島やフィリピンまで密貿易これではもうからないほうがおかしいくらいです。

千石船も結構いい値段で今だと4000万円、大型トラックぐらいの料金でしょうか。