最近の話だが、伏見に団扇の下細工師に何某という人がいる。代々貧乏暮らしであったが、さらに貧乏に苦しんでどうしようもなく、全てがわびしく見える状態ではあったが、悠々と年を送っていた。近所の若い人には彼は頭がおかしいと笑う人が多いが、久しぶりに会い来た年寄りは、彼は正直者で結構な人であり、裕福になる人だと評した。その証拠に、六七人の子供を育てている。世間の親なら子供を売って生活をしようと思うところだが、彼にはその気が全くない。もとより両親の孝を尽くして見送り、借金もその期日にはきちんと支払っているので、家財は残らず畳まで売り払って支払い、極めて義理堅いので他人は彼を憐れんで家財道具を貸してやるのも彼が正直者だから恵んでいるのだ。貧乏人は全て、返済したいと思っていながらも、勝手なことをして義理を欠いてかえって人が催促することになり恨みにつながり憤慨するのだ。ところが彼はそういう事は全くない。生まれつきの貧乏宿というものになるものかと返済している。若い人は正直正道では金はできないと屁理屈を言って、この人のうわさはまちまちであった。

ある人が彼の家に行って話をしていた。

「四百四病より貧乏の方が苦しいと昔らの言い伝えにあるが、智恵者も学者もこれについて大いに考えたが、苦労は多かった。だが、あなたは貧乏を苦にしているようには見えない。大体世間の八分は貧乏人になるものだ。」

「貧しさが苦しければ命を失うほど仕事をして、貧乏さえ苦にしなければ、世間はいたって広いものだ。」

「あなたはどういう心で苦しまないでいられるのか。」

と尋ねると、その人は笑って答えた。

「凡夫は私らの事を貧乏で苦しんでいるように思うようだが、心の納め所が定まっているので、苦しんでいるように見えないのです。その納め所というのは、幼い時に学者の処に一年奉公でいたのですが、講釈を聞きかじり足ることを知る者は常に富んでいる心を堪能しているときは、特に苦にはならないものです。古い歌に

楽しみは夕顔棚の夕涼み、男はてでら妻は二布して

と詠んで、錦繍綾羅[1]を着ている人もそれ相応の苦しみはあるものです。ならば、貧しい者は苦の世界であると思い自分の心の中の驕りをなくして、それぞれの技を勤めればまずは苦の第一である借金は少なくなるでしょう。その上で正直であれば、間違って偽りだます心を避けないのが重要で、これは難しいことです。たとえばわずかではあるが金を借りようとして、思わぬ嘘をいい、義理を欠いて借金しながら、その期限に催促されるとまた嘘を重ねて言い訳して、切羽詰まると逆ギレしてケチだの意地汚い強引だのと借りるときにはペコぺコしながら、今更罵って怒り恩をかけてくれた人を恨み、自分のこの恨みをと腹を立て、借りた者を返さないわけがないだろうと口では言ったものの償う気持ちを忘れ、敵のように思って結局返さない者も多いのです。」

 


[1] 美しい身なりの事。

 

ここ10年借金を申し込まれたことはないですね。ただ、10年前は似たような事に遭いました。

この人は今でいうギャンブル依存症だったようで、借金しまくり首が回らず私から15万円借りて行きました。この人は、共通の知人がいますし仕事もしっかりやる人だったので貸しました。期限通り2か月で返してきましたが、二回目は断りました。定職を持っていながら2回目となると緊急事態ではないからです。

嫌な感じを残したまま3か月過ぎると、何とその人が使い込みで懲戒免職になりました。職場の金を40万使い込んだそうです。

後からきくと事情を知らない人に金を借りまくり、以前にも職場の金を10万使い込んで、嫁さんの実家からか借りて返済していたようです。そのときは直ぐに返して、上司のお目こぼしをいただいて解雇にはなりませんでしたが、上司が変わって一発目に解雇となりました。

では何に使っていたかと言うと、パチンコだったそうです。