京の堀川のあたりに目貫縁頭[1]の細工師がいる。生まれつき器用な者で、全ての銅細工が上手で、小柄は家彫に劣らない。弟子たちを多く抱えて下ごしらえをさせて、仕上げを自分で行い、人が気に入っても自分が気に入らなければ捨ててしまう職人気質であったため、上手だの名人だのと有名になった。誂え品が多くある中で職人の片手間に根付け[2]を趣味で彫り、それが素人の目に留まった。それが高じて枕時計や紅毛[3]の磁石、貝の珠で帯締めに近江八景のガラス彫など様々なものを作り、肝心の本職は面白くなくなり、予期せぬ誂えものに予期せぬ儲け事、逸品だと京都でもてはやされた。私も名人になったもんだと思った。「全ての銅細工をします」という看板を出して、その看板を青貝[4]でかざり洛中洛外の名所旧跡は勿論、町中の人が多く集まる所の芝居や開帳に集まっている人たちにも、掘りつけた細工が微細で鮮やかさはちょっとした目では分かりにくいが、自分が上出来だと満足する。老人には虫眼鏡をお貸ししますので、ご覧下さいと書いておいた。虫眼鏡でなければなかなか見えないと、若いものも年寄りのように顔をしかめて、体力が落ちて目が見えにくいと嘘を言う者もいた。また、昼なのに鳥目で見えない、また虫眼鏡を借りたいがために様々なことを言って、周辺は群衆で混雑し、近くは京都の人でさえも大坂のように見物に無料だからと駆け回る浮ついた者も集まった。その評判を建物の中で聴いて、満足げに笑った。酒と魚を用意させて、褒めるものを相手に毎日酒盛り、家の人たちは仕事も出来ずにあいさつ回り、近所の人は人だかりのせいで商売にならないと、町内で申し合わせて宿老[5]に願い出た。喧嘩や口論が起きないうちに、引っ越すか看板をしまうかしなさいということになった。仕方ないので、看板を仕舞ったが、どうしても見たいものが来れば時々見せることがあった。

こんな感じで腕のいい職人や細工師は必ず一癖あるものだ。

 


[1] 目貫(めぬき)は、刀の柄が刀本体と外れないように抑える釘であるが、後に装飾の意味を持つようになる。縁頭(ふちがしら)は、柄の先端部分。

[2] 煙草入れ、矢立て、印籠、小型の革製鞄(お金、食べ物、筆記用具、薬、煙草など小間物を入れた)などを紐で帯から吊るし持ち歩くときに用いた留め具。

[3] スペイン人、ポルトガル人のこと。

[4] 螺鈿細工の材料。

[5] 町のご意見番、御隠居さんのような者。

 

人事部はよく理解していなければならない事があります。文系大卒出身者は、その組織に所属することが一つのステータスになりますが、理工系はその仕事ができることが動機づけになります。だから、この仕事がしたくてこの会社に入ったのにやらせてもらえないとなると、あっさり会社を捨ててライバル企業に行きます。

 

文系からすると裏切り行為ですが、理系からすれば最初の約束と違う、人事部の方が裏切り行為だと思うのです。この当時の職人は理数系と芸術系を併せ持ったところがあるので、自分が創りたいものにどっぷりつかりたいという気持ちが出たのでしょう。

 

さらに、よく言われることに日本は職人の国だと。良いものを作れば売れると信じています。ところが、職人にとっての良いものとは自分の好みであるかどうかで、商売人の眼からすれば売れる物がいい物なのです。