万金の貨殖者がいた。茶の湯が好きで、古い書画を片端から集めていた。さらには有名な茶碗を千両で買おうとしていた。そこで手代が言った。

 

「ご主人様がお買い求めになろうとしているその茶碗には、どのくらいの御利益があるのでしょうか。」

主人は言った。

 

「御利益があるかどうかは知らないが、昔から美しく有名で世間にその名がとどろいている。世間では稀なものだから買おうかと思っている。」

 

すると手代は

 

「昔の人の言葉に、人は古い者を用い、道具は新しい物を用いると言いますよ。人の古さは物事の是非や善悪の事を見聞きしてきたことが多く、そういったことに慣れていますので、何事であっても、過ちを犯すことがないので尊敬されています。道具の新しいのは穢れがなく、清浄なところが好かれています。こうしてみるとご主人様のお求めになろうとしている古茶碗は、昔らか数人の手に渡り、どれだけの口に触れて穢れて不浄なものです。中此都止也と呼ばれる有名な茶碗は、魚屋の人が家の飼い猫のための椀であったのを、千両の価値がある道具と言っても、猫の椀を貴人や高位の人の口に触れることは、礼なのでしょうか。無礼ではありませんか。ご主人様がお求めになろうとする茶碗も、こんな物なのかもしれませんよ。特に物を弄ぶのは、志を失うと言います。唐土の衛の懿公[1]は鶴を可愛がり、賢い部下を可愛がりませんでした。狄人が衛の国を包囲したとき、衛の臣下は敵を防ごうとせず、常に可愛がっていた鶴に敵を防いでくださいと、きちんと対処しなかったので、懿公は無残にも殺されました。今、ご主人様は古い器を好んで金銀を惜しまず遣っていますが、懿公が鶴を可愛がるのと同じです。茶碗一つのために千両払うより、その千両を出して能力のある手代を雇えば、この家にとって良い買い物になるでしょう。」

 

と諌めた。主人はその言葉に感心して千両を使ってよい手代を二人雇った。先ほどの手代は、忠貞を尽して、家内無事におさまり繁栄した。

 

番頭の一言は、永昌通宝である。

 


[1] 懿公(いこう、紀元前?年 - 紀元前660年)は、衛の第19代君主。文中のように部下を大事にせず、鶴をかわいがったことから部下に見捨てられた。『呂氏春秋』巻11・忠廉紀によると懿公は殺害後、翟人に食べられ肝臓だけが打ち捨てられた。

 

 

17世紀の明時代のお金のようです。

 

これは夫婦の仲にもあるんじゃないですか?夫または妻を大事にせず、物ばかり大事にして。

 

得てして男は収集癖があり、女はそれを勝手に捨てたり売ってしまう事件があるようですが。

 

どんなに時代が進んでも、会社の経営は結局は人だと思います。どんなに資金があっても、どんなに最新の機械があっても、どんなに売れる商品あっても、人がダメなら話になりません。

 

そのためには、社長が自ら部下を大事にしなければなりませんが、ただの消耗遺品ぐらいにしか考えていない上司だったりすると最悪ですね。