福者がいて、日ごろから子供に教えていたことがある。

 

「お前たちは何事も中庸の道を忘れてはならない。最近、ある学者の中庸に関する講釈を聞いたが、片方に偏らないのを中庸と名付けて中道という。何事も中道を行えば、偏見はない。物事を倹約だけやっていればドケチと批判され、派手な事をすれば驕り者と指を指され、二つも重なると悪くなるだろう。」

 

と言っていた。そこに手代が言った。

 

「ご主人様は何事にも中庸を行いなさいと常におっしゃいますが、その中庸という者を実際にやってみると、どのくらいが中庸なのか分かりません。簡単に分かる事は出来ませんか。」

 

福者は言った。

 

「なるほど。分かりやすい方法はある。一尺の半分は五寸、一丈の物は五尺、矩で中庸と言う。これが中庸を知る近道である。」

 

手代は更に言った。

 

「一尺のうち五寸を中庸と定めるのは定規ではもっともですが、身体相応に暮らす人々の身に引き当ててみれば、ご主人様に教えていただく中庸はとんでもなく驕りの中に入りませんか。今銭十貫文の資産で五貫の暮らしをする、千貫文の資産で五百貫文を生活に使うのは中庸というのでしょうか。身分不相応の暮らしで、驕りになるのではないでしょうか。良いのは、身体半分の支出で、世の中で子子孫孫にいたるまでその中庸の掟を固く守るのであれば、身体に害はないでしょうが、どんな人も驕りという病気がある者です。親の代から千貫匁の資産で、五百貫匁で暮らしてきて、子供の代になって六百貫匁になりやすく、四百貫匁に下げにくいのです。これは驕りという持病の熱に冒されるからである。その熱が醒めないで貧乏病になり、ついには戻ることもなく白壁造りの家に他人が入れ替わって、銅の樋の屋敷は人の手に渡るというのは、昔からよくある話です。こういうことを考えてみれば、ご主人様に教えていただく中庸は、驕りに進む危ない傾向にありませんか。私が思う中庸は、一尺の物は二寸や三寸の間だと思います。生活もこのようにすべきではないでしょうか。」

 

というと福者はその言葉に納得した。ここに大中通宝というべきであろう。

 

14世紀明の時代のお金です。こういうのが、貿易で日本に入ってきて流通していました。

 

さて、中庸とは難しいですね。偏ってはいけないというくらいの意味で理解していた方がいいのかなという気がします。

 

実は、日本の意思決定は長年この中庸に苦しめられてきました。AとBの2案があったとします。すると、意見が半分に割れたときどうするかというと、2で割ったものを実行します。

 

これは会社の中でもそういうことが行われ、かなり暴走の原因になったようです。

 

この裏側には、Aを選択すればBを排除する事になる。これは、よろしくないので両方の意見を取り入れて折衷案を・・・とガラポンするのです。これは外国人でなくても、YesかNoかのどちらかしかないのに曖昧な回答をする人、いませんか?田舎に行くほどそういう人が多いような気がします。

 

外国人ならずとも都市生活者が地方に行くとこの問題に良くぶち当たります。

 

こういう折衷案?を中庸は求めているのではないと思うのですが。