人の命には限界がある。限界がないのは欲である。既に限界のある命で、限界のない欲を追い求めても、それに追いつく日はあるのだろうか。長者は富に飽きることはないというのは、足ることを知らない者のことを言うのだろう。強欲に心を惑わされて、目の前の利益のみを見て、後ろの損に気づかない人は多い。

 

昔、金物を売る商人がいた。一人は強欲極まりない者である。もう一人は小欲で足ることを知る者である。一緒に他国に商売に行った。強欲の者は、売り物の良し悪しを考えず、見栄えよく値段が低くなるようにして調えた。その国に着いて商売をしてみると、皆人目に付きやすい値段が低いのを喜んで買って言った。強欲の者の売り物は数日のうちに売りさばいて故郷に帰って行った。小欲の者の売り物は、地性が良いために値段も高いので、なかなか売れず、数か月過ぎて国に帰った。

 

強欲の人は言った。

 

「あなたは賢人風の昔の考えの商人で、今の時代の商売をご存知ないようです。私のように、見付けよく、値段を下げて持っていかなければ、もっと利益が出たでしょうに。残念な事です。」

 

小欲の人が言った。

 

「あなたの言うとおり、私の商品は地性を選んで値段も高いのでなかなか売れません。しかし、塗ったりはげたり、無用の物を買わせて、利益を得るのは嫌なのです。天道に私欲がなければ、私はゆっくりと利益を稼いで長くやっていけるでしょう。あなたは直ぐに利益を得て、後で長く損があるでしょう。」

 

と言うと、強欲人は大笑いして

 

「ためしに一度行ってみなさい。ならばあなたと私はどちらが優れているか分かるでしょう。」

 

と、その強欲の人は体を傾けて、多くの商品を並べ、小欲の人は前と変わらず仕入れて、かの国に行った。強欲の人は前に売った人の商品は、数日のうちに壊れ、蓮の葉のようなものだと言いふらされて買う人がいなかった。小欲の人が売った商品は、地性が堅いので損しないと分かって争うように買っていったので、値段も言い値で売り、大きな利益を得て帰って行った。強欲な人は売りに負けたのを怒って、前よりは安く売ろうとしても客は懲りてしまって買う人がおらず、時間がたつほどに売り物が悪くなり、ついには破綻してしまった。

これは、いったん人を欺いて利益を得たように見えるが、強欲の毒心が却って自分の身に帰ってくる事を理解していなかった。天道は私欲で照らすことはなく、大きく包み込まれ漏らすところはない。人を欺くことは天を欺くことである。俗に小利大損というが、そうならば小欲知足で誠実に商売をすれば、神仏の思し召しがあるだろう。こういう所に寛永通宝があるのだ。探してみなさい。

 

 

 

寛永通宝は一文銭と四文銭がありますが、一文30-50円ぐらいと思ってください、。

 

今回の場合は、あまり質の良くないものを安く売っただけあって、罪はそれほどでもないでしょう。酷い商品なのに高値で売るのもいますから。

 

特にネットでのアクセサリーとか衣類は酷いものが多いですね。

 

評価の中にはヤラセで書き込んでいる事例もあるので、それも信用できません。衣類は靴下以外は絶対に買いません。