ここに善悪の二人がいる。善人は家が貧しく、思い通りにならない事ばかりあって貧弱な暮らしである。悪人の家は栄えて、何でも思い通りの振舞で足りないものはない。朴然子はこの様子を見て言った。

 

「聖人の言葉には、天道は善に幸いを与えて、悪には災いを与えると言っていたが、この二つの家を見ると、悪人が栄え善人は貧しい。天道はひいきをしないというが、こういうのを見ると天道ですら銭のある所に媚びて贔屓しているのか、そうでなければ聖人の言葉がおかしい。すでに天道もこんな感じで、聖人の言葉も間違っているのであれば、どこの誰が貧富吉凶を試してみるべきではないか。」

 

一日中そんなことを考えて、鬱々として楽しめなかった。ある夜のこと、夢に天道が現れて言った。

 

「お前は、善人の家が貧しく悪人の家が豊かであるのを見て、天道も銭のある所に味方して贔屓をしているように思っているようだが、これは算盤上で天道を論じる商売の道の考えである。君子が考える事ではない。世間の者はおしなべて銭の事を福と言っているが、本当の福というのは家内が無事で災難がなく、禍がない。そして、子孫に才能と知恵のある者がいて心配事がない事を論じているので、天道に贔屓があるように思う。こういうのは大間違いである。たとえ家が富んでいても悪人のところには不慮の禍が起きて、思いがけない心配が続く。これが八割か九割である。これが天道が贔屓しないで悪人には災いを下す証拠である。また、家は貧しくても善人の家には災いは来ない。何事もなく安心して生活している者が多い。これが天道のする事である。また、天道は前任の味方をして、悪人にはしなければ、善人には常に富を与え、悪人にはずっと貧賤を与えるのが、天道の本来であるようであるが、天道にも常に変化があり定まらない。例えば悪人の家が富むのは、天気が良いとき花見に行くようなもので、善人の家が貧しいのは月見の夜に雨に降られてしまうようなものだ。お前は、天命の変化を見て天道は銭のある家に贔屓すると言う。普段からのところを見て天命を楽しんでいれば、真の天命通宝はこれだろう。」

 

と、諭して去って行った。

 

 

 

金があれば解決できる問題はありますが、金がある事で新たに出てくる問題もあります。

 
例えばタカリ、相続、税金…金持ちはこういうことに見栄を張って問題ないかのような事を言っています。そんなものです。
 
だから、ブッダも出家したのでしょう。まあ、財産は無いよりはあるに越したことはないでしょうが。