貧僧の重ね食

 

食べるにも困る貧乏な坊さん(今では絶滅危惧種)が、同時に食事に呼ばれる事、つまり思い通りに行かない事を言っています。

 

休みたいときにも仕事も集中するときに集中し、仕事が欲しいときに暇ばかり。前もって分かれば対処できるのですがねぇ。

 

どうも日本人は伝統的に、こういうのを科学的に制御しようとはあまり考えない民族のようです。例えば、安政の開港のときにどの港からどんなものがどれだけ売られたか、相場はいくらだったのか、そこで働いた労働者、外国船が何隻来たか、代官所は統計を取らなかったようです。結局歴史家さんは、日本に商売にやってきた外国の会社の資料で調べるしかないようです。

 

その他、寺請制度で戸籍に相当するものを作りましたが、どこにどれだけの人間がいるのか各藩はかなりアバウトにしか把握できていなかったようです。

 

国勢調査ですら大正に入ってからですから。これではまともに税金を確保できませんし、災害対策もよくやってきたもんだと思います。こんな状態で日清日露を戦ったのですから。

 

今でも、データを取らず「根性で営業だ!」という人がまだいるようですが、そういう管理をしっかりやった上で「根性論」があるべきなのです。

 

さらに現代の問題として、公文書をどう扱うかでもめています。不正に書き換えたとか色々ありますが、あれをどのように保存するか、誰がどのような手続きで見られるようにするのか、情報の管理を嫌がる官僚との間で戦いが続いているようです。

 

ちょっとしたメモであっても、後でどんな者の決め方をしたのか、その結果「重ね食」になったのかならなかったのの情報が得られ、次につなげられるのです。