遠い一家より近い隣

 

いくら血が繋がっている、婚姻関係で親戚になったとはいえ、やはり緊急事態では近所の顔見知りが頼りになります。

 

私も遠くに住む従妹がいますが、祖父の葬式と叔父の葬式のときの2回しか会ったことがありません。こういう人に緊急事態で助けを求めにくいですね。無くなった叔父は1回もあったこともありませんでした。

 

全国移動の勤め人だったりするとそうなりますね。商人、特に近江商人は全国に支店をもっていたので、江戸時代でもそういう人がいたようですし、武士階級でも参勤交代で殿様にくっ付いて行き単身赴任なんていうことは普通にあったようです。今とそんなに変わらないくらい移動していたとか。

 

さて、近所づきあいというのは面倒であり、かつ重要な存在です。社会福祉が充実しているとされる北欧では、老人の孤独死は行政の問題だという傾向にあるようですが、それは行政の肥大化につながるばかりで健康的な社会とは思えません。

 

良いか悪いかは別として、日本には「頼母子講(たのもしこう)」という組織がありました。今も一部の農村に残っています。これはある意味、小規模共済兼自治会みたいなものがあり、貧民だけではなく一人暮らしの老人の救済、民生委員みたいな存在がありました。

 

 

相互扶助の経済

 

これはノーベル平和賞を取ったユヌスが提唱したマイクロファイナンスと同じようなものです。

 

今の時代、何でもかんでも外国の制度を見習うべきという悪い風潮がありますが、経済基盤から社会風土も違うので、もう一度昔の制度をしっかり見ていくのも良いと思います。

 

都市生活者は、明治初期のような共同体を作るのは難しいかもしれませんが、政令指定都市以外であればまだ作れるのではないのかと思います。

 

ただねぇ、地域によってはきついローカルルールがあって洒落にならないことがあるので、これもまた万能ではないですが。