これまで書いたことの趣旨は、町人の身分で主人であろうとする者や若い人々は、常に読んで覚えて毎月2回は家の者全てに読み聞かせれば、自分から善を行い悪を懲らしめることにつながり、その家は必ず繁盛するだろう。どうしても善に染めることが難しい人の心であるから、うかうかと暮らすのは恥ずかしいことだ。私もそのような状態で長く雇われて、またその日暮らしを続けて今となっては40歳を過ぎてしまった。

 

全て後悔だらけであるので、せめて若い人たちには、この道理を知らせてやろうと及ばないながらも注意して書いてきた。言葉の使い方が雑であるのも良く分からず、頭に浮かんでくるままに一つの文書にするには酷いものだが、どんな人の訂正には応じる。だが、生活を直さないでは本当の道に叶うのだろうかと、蛇に気づかない盲人の杖のような気持で、大した文章ではないが愚かなことを書いた。

 

商人平生記 終

 

 

40歳と言えば、当時はご隠居になる年齢です。11歳で丁稚で奉公に出て20代で手代、30代で番頭、40代でのれん分け、店主ならば息子も20代でしょうから引退して余生を過ごすのが一般的だったようです。

 

随分若くないか?と思うかもしれませんが、明治になるまで平均寿命は45歳ぐらいだったらしいですから、そんなものでしょう。長く生きられれば70代から80代までは何とか、若くして病気で死ぬことが普通にあった時代でした。

 

今は普通に70代まで働けという時代です。

 

だからと言って、江戸時代の人より何かできる機会があるのか?豊かな人生を送っているのか?というとそうでもない気がします。

 

例えば、出勤に何時間もかける。私は俺が嫌で地方に行きました。

 

また、便利になった分、物や事の有難味が無くなり雑になってしまっていないでしょうか。更には、じっくり時間をかけてものを考えると言った機会が減ったのではないのかなと思います。

 

こうやってみると江戸時代は、それなりに心が豊かに過ごせた時代なのかもしれません。