森友問題、日大アメフト部のタックル問題とドンファン殺人事件とよくもまぁ延々と同じことを繰り返しています。

それって、そんなに重要な事なのでしょうか?昼間のワイドショーはどうでもいいのですが、ニュースにしても解説番組にしても討論番組にしてもこんなに繰り返すのは何か意図があるのではないかとすら思えてきます。「それでは世間が納得しません」「その回答ではブランドに傷かつきます」とか、それってマスコミが裁判官にでもなったかのような感じです。

ドンファン殺人事件に至っては特定の人物を犯人であるかのように執拗に追いかけています。

取材した人の名前と連絡先を明記させれば、少しはマトモな質問に変わるのでしょうか。ヨーロッパでは署名記事は普通にありますけど、日本の新聞には文化面以外では見た記憶がありません。

新聞も全国紙でありながら、事実を伝える役割というよりは過激派のアジ演説のような文章も出ています。

こういうものばかり見ていると疑うことを知らずそのまま受け取ってしまう人は、思いっきり誘導されてしまいますね。私は、どうして?を繰り返してしまう性分なので、①その報道がどの時点で報道されたのか、②どういう内容だったのか、③その記事が誰にとって不利で誰に利点があるのか、④数日間前後と比較しています。

これに気づいたのは、長期出張から帰ってきて1ヶ月の新聞を一気に読んだことがきっかけでした。よくもまぁこんなに飛ばし記事(見込みだけで書いてしまう記事の事)が多いものだと驚きました。

そして、大きな事件のわきには必ず不祥事の謝罪記事があったりします。特にひどいのは、誤報で裁判で負けたときに3行記事で、「お詫び申し上げます」というものです。誤報された人にとっては一生の問題ですから、逆に一面トップで3段貫ぐらいで謝罪してもらわないと名誉回復のきっかけにもなりません。

私は、誤報とは言わないまでも、かなりゆがんだ内容にされてしまったことがあります。いわゆる切り貼りですね。言葉の順番によっては、文脈が変わってしまいます。

記者の勉強不足も酷いものがあります。せめて取材対象をネットで概略を見てから取材に来いよと思うようなこともありました。プロ意識の欠如なんでしょう。

その上で、政治家へのインタビューもなんであんなに上から目線なんでしょうね。質問した人間の様子を所属と一緒に同時に流して欲しいものです。どんなに気に入らない政治家であっても、国民によって選ばれた人です。取材対象への敬意がもう少しあってもいいのではないでしょうか。

 

とはいうもののマスコミはなければ困ります。本当に国民生活に必要な情報が流されないと困ります。その一方で、ある程度の部数と視聴率がなければ商売として成立しません。報道機関としての倫理というのはないのでしょうか。