諸芸を習う事は、それぞれの財産や身分に応じて習いなさい。しかし、どんな芸であっても一つ芸にこだわってはいけない。強く執着したら、本来の家業を怠り、金も多く使うものである。総じて、芸事で他人に勝とうと思ってはいけない。どんな芸も軽く習って楽しみにのめり込んではいけない。

 

人より下手だと言っても、我家の本来の仕事ではないので少しも恥ずかしいことはない。芸事で他人より優れていることは、結局家業を疎かにしていると思われるものだ。その中で財産を持ってない人も、手習いの費用は言うまでもない。文字については少し習いたいものである。そうすれば、本を読んで弁えるようになり、一生の楽しみも深くなるだろう。

 

 

今で言ったら、ゴルフなんぞにどっぷり浸かるなんてことはするなよ、本業を忘れるなということですね。

 

この当時は、大衆向けの娯楽はほとんどありませんでしたから、小唄、舞、茶道、華道、詩歌、川柳、書画といった習い事が娯楽でもあったようです。大衆娯楽が普及するまで、映画とラジオ普及するまではこういったお師匠さんが沢山いたようです。

 

そしてこれらは単なる娯楽として消費するのではなく、そこに出入りする人たちはそれなりの社会的地位のある人たちでしたので、商売の話につながっていくことは今も昔も同じです。そのグループの中で目立ちたいと思うのは人情です。

 

しかし、今も昔も「仕事なんだから」と土日祝日朝早くから家を空けるのもほどほどにしましょう。所詮、ゴルフもお酒もお付き合いなんだし。家業を盛んにするためにやっていることですから、家庭をぶっ壊すようなことは避けませんとね。

 

なお、心学の中で有名な『冥加訓』では習い事について無茶苦茶書いています。このブログで上げてもいいのですが、とにかく習い事、特に三味線や唄のことをとても現代訳に出来ない言葉でボロカス書いています。私が『冥加訓』を好きになれない理由の一つでもあります。

 

興味のある方は竹田市の観光協会に問い合わせてみてください。現代訳を有料で分けてもらえます。近世文学を言語で読める人は、国会図書館デジタルアーカイブで探すとでてきます。