食事ができるから生を保てるのであって、獣であっても死なずにいられるのは、天地の恵みがあるからだ。

 

享保年間の子年[1]の秋に、米につく虫が大量発生して、丑年の春まで[2]高騰して、五畿内[3]西国表[4]は餓死者が大量に出たと聞いている。全ての生命の頂点に立つ人間としては、とんでもないことだ。これは浅ましく、きちんと準備していないからで、よく慎んで油断があってはならない。あってはならない事があっても対応して、とにかく長生きできれば仕事は経験を積んでたくみであろう。長生きであればこそ、来世につながり、世の中の為にもなるだろう。

 

こんな大変なときに、飢える事のない人になれるわけではないが、これは日々の心がけが良いからだ。心がけが悪い人は、そういう状況になってからまごついて、食事にしても御上を恨んで事件を起こす。何と浅ましい事か。

 

人は、普段から自分の分量を理解して、少しでも分量を考えない者は避けるようにして、普段の食事もおいしいものを食べず、夜は早く寝て朝は早く起きて、その家業を大切にして一日にすべきことをこうこうと考え、部下にそれぞれの役割を与え、年中家の中で必要な物を考え、商売で行ううちの6,7割の範囲で家のために遣うにとどめ、3,4割を残しておくようにしなさい。こうすれば、この余った分で家の中で問題が発生した時のために遣えば安心だろう。古い言葉に、先の事を考えなければ、必ず近いうちに問題が起きると戒めたと聞いている。

 

さて、物事に自分の分量に及ばない事を願う事こそが、大きな間違いの原因であり、よく慎んで悪の種を蒔かないようにすれば自然に心が安定し、間違いを起こすこともなく、不自由になる事もないだろう。そうすれば、次第に出世するだろう。とにかく、若い時から心がけ品行が重要な事であろう。

 


[1] 享保17年1732年

[2] 享保18年1733年

[3] 大和、山城、河内、和泉、摂津、今の京都と大阪

[4] 今の滋賀、岐阜、奈良、兵庫

 

 

実に深い話ですね。まず、分量から見ていきましょうか。

 

分量とは、今の言葉では「身の程を知る」の意味です。個人としてできる事の限界とでも言いましょうか。こんな言葉を使う人は、いなくなりましたね。私が子供の頃は、夢を語ると「身の程を知りなさい」と言われたもんです。

 

子供ですら夢を語れなくなったら世界は終わりとしか言いようがありません。今になって歳を食ってようやく分かりましたが、人生は短い、やれることには限界があるということです。

 

逆に、努力すれば何でもできる、即ち努力至上主義も残酷なもんです。物覚えはよく作業は出来るのですが、非常に愛想が悪い人間っていますよね。本人は自分自身は優秀だと思っています。これが悲劇の始まりではないでしょうか。自分は優秀だからもっと優遇されて当然、待遇が良くならなければ他所に行くと転職を繰り返す人がいます。

 

ある職場で、司法試験に合格してから毎年事務所を変わる人がいました。4回目ぐらいでしょうか。逆にいうと、4回目の転職先はどう行った思いでその人を雇ったのでしょうか。今やイソ弁はおろか軒弁でも雇ってもらうのに厳しい時代、いきなり事務所開設でもしないと食っていけない時代なのですが。

 

面接に呼んでみると、やっぱりという感じだったそうです。弁護士に向かない残念な人だったんですね。それを自覚できずに資格を取ってしまい、却って苦しい目に遭ってしまう事もあるのです。

 

次に注目したいのは、原則自己責任という点です。江戸時代だから、社会制度が未発達だから当然だろ?と思うかもしれませんが、それはありません。江戸時代は今以上に民間ベースで相互扶助がかなり進んでおりました。いわゆる頼母子講というものです。江戸時代が暗黒時代みたいに教科書では書かれますが、あれは明治政府のプロパガンダです。

相互扶助の経済

 

詳細はこの本を読んでいただくとして、それでも博打や女郎屋通いなどで破綻する人はいたようです。

 

当時の人口の8割以上が農民でした。そのうち圧倒的多数が水田を作っていました。水田は、造る手間が半端ではありません。水がない状態で田起こしと肥料まき、水を入れる、水を入れた状態でかき回す代掻き、田植作業、カビなどの病気対策で水抜きや水の追加、虫よけ、草むしり、稲刈り、脱穀でようやく出荷になります。麦の3倍以上の手間がかかるのです。これら作業を村単位(当時の村は700人ぐらい、20軒ぐらい)でまとまってやらなければなりません。しかも、年貢は個人ベースではなく村単位で請求されます。

 

つまり、誰か夜逃げでもされるとその分誰かが穴埋めをしないと、村全体が連帯責任、多くの場合は村のリーダーとして庄屋がしょっ引かれます。なので相互扶助が徹底していたと言われています。

 

それでも、この当時は洪水や冷害、土砂崩れ、地震による田んぼの割れで作物が作れなくなることがたびたびありました。だからこういったことのために予測して、常に準備しておきなさいと言っているのです。そして、天変地異は決して御上(今でいうと政府)のせいではない、飢えるのは準備をしていないあなた方のせいなんですよと言っています。

 

農民が非常事態に備えるように、商人も非常事態に備えておきなさい、破産するのは政府のせいでもなく、ライバル企業のせいでもなく、自分がそれに供えていなかったからなのです。そして、店の主(今でいう社長)は、それぞれのひとごとに分量があるのでそれを自覚したうえで努力しなさいと行っています。

 

景気が悪い、重大な事件が起きると今の政府は!と責め立てる人がいますが、いつの時代にもいたんですね。国だってやれることには限界がありますし、今の時代そもそもその国を作っているのは国民ですからね。文句を言う前に、自分たちでできる範囲の事はしっかり自分でやるべきなのです。

 

何でもかんでも、国の補助金やらなんやらに頼りすぎていませんか?