リハビリの一場面から。
もう少しで歩けそうな子を前に、私は彼の太ももを介助しながら、心の中でそっと願っていました。
「よし、一歩。こっちに動いてみよ!」
けれど、彼から返ってきた反応は期待ものではありませんでした。
私の手に体重を預けてきたり、逆に「触らないで!」と言わんばかりに拒否されたり、ついには立つのをやめてしまったり……。
「頼らんといて。大丈夫やて」「こっちやで」
そうやって修正しようとすればするほど、彼との距離は遠ざかるばかり。
まさに、泥沼のループにハマっていました。
相手を変える前に、自分を「再定義」する
ふと、立ち止まって考えてみました。
解決策(命令)を彼にぶつける前に、まずは自分自身の「頭脊椎」を中心に、自分の身体の状態を観察してみたんです。
そこで愕然としました。
彼の太ももを支えていた私の手。
それは「サポート」の名を借りた、
「一方向にしか動きを許さない、不自由な檻」になっていたことに。
太ももの付け根にあるのは、あらゆる方向へ動く可能性を秘めた「股関節」です。
それなのに、私は自分のエゴで、彼の無限の可能性をたった一つのルートに押し込めていた。彼が拒否したのは、私の介助ではなく、その「不自由さ」だったのかもしれません。
命令を「支配」から「対話」へ書き換える
私は、自分自身への命令をそっと書き換えました。
×「頼らずに、こっちへ動いて」
◎「今触れているこの太ももは、本当はどう動きたいんだろう?それを知るために、一緒にこの感覚を味わってみよう」
「教える側と教えられる側」という境界線を一度溶かし、お互いの身体を通して「太ももの在り方」を探求する。そんな意識に変えてみたんです。
すると、どうでしょう。
あんなに停滞していた空気が、一瞬で変わりました。
彼はこれまでの姿勢とは打って変わり、驚くほど積極的に、自らの意志で歩き出そうとし始めたのです。
「相手に求める」その前に。
うまくいかないとき、私たちはつい「相手にどう動いてもらうか」ばかりを考えてしまいます。
でも、変化のスイッチは常に自分の中にありました。
自分の要求が、相手を縛る「エゴ」になっていないか?
その要求は、相手に届く「形」をしているか?
状況を変えたいなら、まずは自分をハッキリさせること。
臨床の現場は、鏡のようなもの。自分が緩めば、相手も動き出す。
そんな大切なことを、彼が教えてくれた一日でした。
私たちの手は、誰かを支える「杖」にもなれば、自由を奪う「壁」にもなります。
もし今、目の前の誰かとうまくいかないと感じているなら。
相手を変えようとする前に、自分の手のひらに問いかけてみてください。
「私は今、この人の可能性を信じているだろうか? それとも、自分の正解を押し付けているだろうか?」
答えはきっと、その手の中にあります。
yeah!!