一所懸命なのに、なぜか速く走れない


運動会でみんなに迷惑をかけて、悔しかった
そう話してくれたのは、少し走るのが苦手な、とても素直で真面目なお子さんでした。
筋力や可動域、神経系に問題があるわけではありません。

小学校の体育も苦手で、スポーツコーチをされているお父さんから様々なことを教わり、それを忠実に守ろうと努力していました。

実際、お父さんの指摘も的確で、改善策もよく練られています。「速く走りたい!」という思いにしっかり答えてあげようとしていたのが、目に浮かびます。



​なのに、走れば走るほど、どこかギクシャクしてスピードに乗れない。
そこには、「教えを守ろうとしすぎるがゆえの落とし穴」がありました。


​失われていた「本来の目的

​「よーい、どん!」の構えを見た瞬間、違和感の正体がわかりました。
彼は、走る前から全身に力が入っていたのです。
​「今、何を考えてる?」と聞くと、「太ももをしっかり上げて、足を動かそうとしてる」という答え。
本来、走る目的は速度を別として「あそこ(目的地)まで体を運ぶこと」です。


しかし、彼は「足を高く上げる」「足を速く動かす」という動作そのものが目的になっていました。
指示を守ることに意識がいきすぎて、肝心の「前に進む」という動物本来の自然な欲求が、思考の隅に追いやられていたのです。


​思考のロックを外す3つの実験
そこで、私は彼にいくつかの実験を提案しました。


​1. 脳を「暇」にさせる
​まず、その場で腿上げをしてもらいました。一生懸命に足を上げようとすると、体は力みます。
そこで、「昨日の晩ごはん、何食べたっけ?それを思い出しながらやってみて」と伝えます。
すると不思議なことに、意識が足から離れたことで余計な力みが抜け、先ほどよりずっと軽やかに足が動くようになりました。


​2. 「目的地」を再定義する
​次に、「足をどう動かすか」は一度忘れてもらいました。
「自分があそこのゴールにいる姿を強くイメージして。準備ができたらスタートしてごらん」
そう伝えると、動きは見違えるほど軽くなりました。ただ、まだ「足を上げなきゃ」という教えが残っていて、マリオのように上にぴょんぴょん跳ねるような動きになっていました。


​3. 「足は勝手に動くもの」と体感させる
​最後に、決定的な実験をしました。
「足はそのままで、動かさないでね」と伝え、私が彼の頭を優しく支えながら、ゆっくりと重心を前へ誘導しました。
体が倒れそうになり、踏ん張れなくなったその瞬間、彼の足が「おっとっと」と勝手に一歩前へ出ました。




​「あ!足が勝手に動いた




​彼は驚いたような顔をしました。そう、走るとは「足を頑張って動かすこと」ではなく、「倒れようとする体を支えるために、反射的に足がついてくること」の連続なのです。



​解き放たれた本来の走り

​「今の感覚で、もう一度走ってみて」
そう伝えたあとの走りは、まさに劇的でした。
上に跳ねる無駄な動きが消え、体幹のブレも収まり、スムーズに、かつ力強く地面を捉えて加速していく。
​横で見ていたお父さんも「あんなに走りがカッコよくなるなんて……」と、驚きと喜びを隠せない様子でした。

そして続けて
​「一つ一つの課題を整理するたびに、これほどまでにはっきりと変化が出るなんて……。驚きました。何よりも、あの子がこんなに変われるんだということが、本当に嬉しいです」
​それは、指導者としての「分析」を超えた、親としての純粋な喜びが溢れた言葉でした。


​教えが「制限」になっていないか?

​この子は、アドバイスを忠実に再現しようとするあまり、人間が本来持っている「歩く・走る」という動作を、頭で考えた「不自然な解釈」で上書きしてしまっていました。
頭でっかちな動作を紐解き、人間本来の感覚を取り戻すこと
​「こうしなきゃ」という意識の制限を外してあげること


​これだけで、子供のパフォーマンスは一瞬にして変化します。
もし、お子さんが「努力しているのに結果が出ない」と悩んでいたら、それは技術不足ではなく、「真面目すぎるがゆえのブレーキ」がかかっているだけかもしれません。




​「運動の協調性がない」と言われる子の多くは、実は体が動かないのではなく、脳が「動きを制限する命令」を出しているだけだったりします。その「制限」を優しく外してあげるのが、私の仕事です。