おはようございます

晴れてますねぇ。
秋ですねぇ

さてさて。
今回は縄文杉のことを詠んだ詩のご紹介です。
屋久島に移住した詩人 山尾三省の書いた詩です。
バスガイドさんが教えてくれたの

縄文杉をすっごくうまく讃えてるなぁと思いましたので


聖老人
屋久島の山中に一人の聖老人が立っている
齢およそ七千二百年という
ごわごわとしたその肌に手を触れると
遠く深い神聖の気が泌み込んでくる
聖老人
あなたは この地上に生を受けて以来
ただのひとことも語らず
ただの一歩も動かず そこに立っておられた
それは苦行神シヴァの千年至福の瞑想の姿に似ていながら
苦行とも至福ともかかわりのないものとしてそこにあった
ただ そこにあるだけであった
あなたの体には幾十本もの他の樹木が生い繁り
あなたを大地とみなしているが
あなたはそれを自然の出来事として眺めている
あなたのごわごわとした肌に耳をつけ
せめて生命の液の流れる音を聴こうとするが
あなたはただそこにあるだけ
無言で 一切を語らない
聖老人
昔 人々が悪というものを知らず 人々の間に善が支配していたころ
人間の寿命は千年を数えることが出来たと 私は聞く
そのころは人々は神の如くに光り輝き 神々と共に語り合ったという
やがて人々の間に悪がしのびこみ
それと同時に人間の寿命はどんどん短くなった
それでもついこの間までは まだ三百年五百年を数える人が生きていたという
今はそれもなくなった
この鉄の時代には 人間の寿命は百歳を限りとするようになった
昔 人々の間に善が支配し 人々が神と共に語り合っていたころのことを
聖老人
わたくしは あなたに尋ねたかった
けれども あなたはただそこに静かな喜びとしてあるだけ
無言で一切のことを語らなかった
わたくしが知ったのは
あなたがそこにあり そして生きている ということだけだった
そこにあり 生きているということ
生きているということ
聖老人
あなたの足元の大地から 幾すじもの清らかな水が泌み出していました
それはあなたの 唯一の現わされた心のようでありました
その水を両手ですくい わたくしは聖なるものとして飲みました
わたくしは思い出しました
法句経 九十八
村落においても また森林においても
低地においても また平地においても
拝むに足る人の住するところ その土地は楽しい
法句経 九十九
森林は楽しい 世人が楽しまないところで
食欲を離れた人は楽しむであろう
かれは欲楽を求めないからである
森林は楽しい 拝むに足る人の住するところ その土地は楽しい
聖老人
あなたが黙して語らぬ故に
わたくしは あなたの森に住む 罪知らぬひとりの百姓となって
鈴振り あなたを讃える歌をうたう

これを読んで縄文杉に会いに行くと、
なるほど。と感じると思う。
そぅ。
縄文杉って、見に行くって言うより
会いに行くって感じだね。