恐らく「車が好きだ」という方の多くは名前くらいは聞いた
ことがあるとは思います。
今日はホンダのフラッグシップ
ホンダ・レジェンド
です。
1946年、静岡県浜松市で本田宗一郎によって後に
「世界のホンダ」と賞賛を浴びることとなる本田技研工業の
全身として、本田技術研究所が設立されました
光岡自動車などの小規模な会社を除くと最後発です。
有名な話ですが、設立当初は旧陸軍の無線用発電エンジンを改造
して、自転車に取り付けた簡易的なオートバイの発売から
スタートを切りました
当時日本には300社近いオートバイメーカーがあり、大変な
競争であったと言われています。
その後1949年に完全自社開発のオートバイ「ドリームD型」を
発売し、本格的なオートバイメーカーとしてのスタートを
切りました。
そしてホンダの規模を一気に拡大したものが、宗一郎が
「蕎麦屋が出前の岡持を持ったまま運転できるバイクを」という
ことで開発された1958年発売の「スーパーカブ」です
スーパーカブは世界中の人に愛され続け、2017年には累計生産
1億台達成
2018年には60周年を迎えるという金字塔を打ち立てるまでに
なりました
自動車の生産開始は1963年で、軽トラックのT360と
小型スポーツカーのS500を世に送り出しました。
1969年にはホンダ初の1000ccオーバー車、「1300」と発売。
1972年にはマスキー法を世界で初めて達成したことで知られる
CVCCエンジンを搭載したシビックを発売(CVCCは翌年)
1976年にアコードを発売。
1978年にプレリュードを発売。
1979年に二代目シビック誕生。
1981年に二代目アコードと兄弟車ビガー誕生。
1982年に二代目プレリュード誕生。
1983年に三代目シビック(ワンダーシビック)誕生。
という具合に徐々に現在に通じる車種の拡大と、プレリュード
のように趣味性の強い車種もラインナップに揃えるなど、
充実をさせてきたホンダですが、基本的には小型車が主力で
単価はあまり高くありませんでした。
しかし1968年にGNPが西ドイツを抜き世界第二位となってから
経済大国としての地位を確立した日本は、短期的な不況を経験
しながらも多くの国民が上昇志向を持っていました
そんな中、トヨタ・クラウンや日産・セドリック/グロリアに
対抗するフラッグシップを、また自動車の最大市場、アメリカ
でも欧米の高級車ブランドと対抗するため、ホンダの高級ブランドである「アキュラ」を計画し、フラッグシップとなるモデルの
開発に着手します
そこで1985年に世に生を受けたのが
ホンダ・レジェンド
でした。
当時メーカー各社は複数の販売チャネルを持っていた時代、
ホンダの中でも高価格帯のモデルを扱う、ホンダ・クリオでの
専売車種となりました。
価格は1981年発売のアコードが最上級グレードで約155万円
だった時代に、レジェンドは上級車種の2.5リッターXiで
約322万円という、ホンダには経験のない高価格車でした。
(共にオートマチックトランスミッションでの比較)
高級車を販売するにはメーカーがそれを販売するノウハウを
持つことと同時に、ブランドを支えるロイヤリティーの強い顧客
が必要となります。
当時のホンダにはそれがありませんでした(今もですが)
そこでホンダは競合車種との差別化を打ち出すため、車の先進性
を全面に打ち出していきます。
ホンダ初のV6エンジン(2リッターと2.5リッター)を搭載し、
1985年の発売時にはCMで「静かなる走りの余韻」と詠い
静寂さを訴求します
そして1987年のクーペモデル導入と同時にそれまで2.5リッター
モデルは2.7リッターへアップ。
また日本初のSRSエアバッグ導入を期に、レジェンドの先進技術
の数々を積極的にCMで紹介していくことになります
1988年には2リッターモデルにウィングターボと呼ばれる
ターボモデルを用意し、これまでのパワー不足を補います。
またSRSエアバッグの他に、モデル当初から用意されていたABS
(ホンダではALB)の他、セダンモデルも後輪に新たにダブル
ウィッシュボーンサスを採用クラウンやセドリックとの差別化を
誇示します
更にモデル末期の1989年にはFF車として世界初のトラクション
コントロールシステムを採用し「走りのプレステージ」として
大雨の中を疾走する様子を撮影したCFを制作しています
またこの頃にはドアのインパクトビームも装備し、日本車の
中では他社に先駆け衝突安全性に配慮した装備をしています
そして着実に進化してきたレジェンドは1990年に二代目に進化
します。
バブル真っ只中に開発された車ということもあり、開発には
非常に力が入っていまして、これまで横置きだったエンジンを
縦置きとし、フロントのバルクヘッドを長くとりホイルベース内
にエンジンを搭載する、FFミッドシップ方式を採用します
全長4.94mに対し2.91mのホイールベースは現代においても
日本車の中では長く、FR車のようなプロポーションとなって
います。
デザインもワイドアンドローで大変美しいと言えます
技術面では引き続き先進技術の導入に積極的で、国産車初の
助手席用エアバッグ、前席シートベルトプリテンショナー装備
など、現在に通じるアクティブセーフティーの数々を他社に
先駆けて導入。
また装備でもステアリング・コラムの電動チルト・テレスコ機能
や、イージーエントリーシステム、ハンズフリーフォン、
カーナビやカーナビと電話のリンク機能。
1991年発売のクーペモデルにはドアのイージークロージャーも
装備し、現在の価値観から見ても充実した装備の数々が奢られて
います
また1992年にはαツーリングではエンジン出力をそれまでの
215馬力から235馬力に強化したエンジンとした他、一部の
グレードを除いてオプションにLUXMANがチューニングした
サウンドシステムも用意されています
ところで二代目発表直後にはCMでは
「目指したのは世界最高水準の安全性です」と、衝突実験の
シーンを使用していましたが、当時の日本人にはこれが
ショッキングな映像であったそうで、1992年からは突如として
ハリソン・フォードを起用したイメージCMに変わりました
このように先進技術を積極的に取り入れてきたレジェンドです
が、1996年発売の三代目レジェンドでは進化が止まります
折からの景気後退による販売不振により、三代目は二代目の
スキンチェンジ版に過ぎず、時代の先端を突っ走ってきた
レジェンドはここで一気に魅力を失ってしまいます
ボディーサイズは若干拡大されたものの、デザインも凡庸なもの
となり、レジェンドの影が急速に薄くなります。
エンジンは先代に比べ300cc増の3.5リッターとされますが、
ホンダでは当時主流になっていたVTECも装備されず、
3.5リッターにも拘らず、215馬力となっています。
LUXMANのオーディオや電動チルト・テレスコステアリング
コラムなどは残っていますが、装備している個体は見たことが
ありません。。。
ベンツのように頻繁にマイナーチェンジしていますが、約10年
も製造され続けたことも魅力減退の一因であると言えます
そんなレジェンドの周りがにわかに騒がしくなります。
2004年にこれまで日本車の進化の足を引っ張り続けた280馬力
自主規制が撤廃されることになったのです。
ベストカーなどの自動車雑誌ではどの車が規制突破第一号に
なるか様々な憶測が飛び交います。
そして規制突破第一号になったのが伏兵のレジェンドでした
2004年発表の四代目レジェンドはこれまでのオーソドックスな
高級車から、走り一本足打法に振り今後のホンダの技術を
てんこ盛りにした新たな技術の見本市のような車でした。
ちなみに今日はこの四代目と五代目の乗り味を紹介します。
ラグレイトにも搭載されたJ35Aで、3.5リッター、300馬力
しかしこの車の真骨頂はここではありません。
世界初の技術であるSH-AWDがこの車の真の価値です
駆動力を前後配分70:30から30:70まで。
後輪左右配分を0:100から100:0まで自在に可変させ、
コーナーではその側の後輪の駆動力を高めることで
アンダーステアを防止するという4輪駆動システムです
これでコーナーは今までの大型セダンでは考えられなかった
ほどのスピードで駆け抜けることができるようになり、
これぞスポーツセダンという車になりました
デザインや内装もこれまでのような後席を重視したフォーマル
セダンというイメージから大きく離れ、先進的なセンター
コンソールや、ライバルに比べやや狭い後部座席などから、
ドライバーズカーのイメージが非常に強い車になっています
室内の装備もホンダ初のシートベンチレーターやBOSEサウンド
システムの他、エアコンの温度設定などに声で反応する
ボイスコマンドシステムを導入するなど、二代目の時のような
先進技術の積極導入も戻ってきました
この他にもインテリジェント・ハイウェイ・クルーズ・
コントロールやナイトビジョンなど様々な先進技術をオプション
ではあるものの用意し、同年の日本カー・オブ・ザ・イヤー、
モースト・アドバンスド・テクノロジー特別賞、2005年には
RJCテクノロジー・オブ・ザ・イヤーを獲得するなど、高い
評価を得るに至りました
走りはV型6気筒エンジンのためか、高回転まで回すと若干回転
に粗さを感じますが、確かに充分な力強さを感じさせます
とは言えすごく速いという感じではありませんが。。。
足回りも比較的しなやかで、高速域での不安感もありません。
特に素晴らしいのがやはりタイトなコーナーでして、他の車では
オーバースピードで入ると当然アンダーの傾向を感じますが、
レジェンドは大きな手で内側に押される感じで、非常に安心感が
あります
ちなみにクルーズコントロールや車間維持装置は元々嫌いなので
使ったことはありません
そんな素晴らしき四代目レジェンド、導入当初は300馬力の話題
性もあり、月間販売目標を上回るなど好調な販売を記録します
が、ホンダのブランド力不足などもあり、長続きしません
エンジンを3.7リッター化したり、ミッションを5速オートマから
6速オートマに変更するなど、テコ入れを図りますが2011年には
年間販売台数が360台まで落ち込み、2012年6月をもって
生産終了となります。
これでレジェンドの「伝説」は終わるかに見えました
しかし2年の沈黙を破って2015年、一足先に後継モデルの
Acura RLXへのハイブリッドモデル導入と同時に日本でも
レジェンドが復活することとなります
こうして五度世に送り出された五代目レジェンドはまさに
「物理への反乱」という言葉がふさわしい車となっています
先代よりも立派になり、オーソドックス(除ヘッドライト)な
大型セダンというイメージですが、中身が恐ろしいことに
なっています
レジェンドとして初めてのハイブリッドとなった五代目は、
後から登場するNSXからターボを取って、前後逆にした
ドライブトレーンを持った代物でした。
前にモーターを1機、リアの左右それぞれ別のモーターを搭し、
計3機のモーターでサポートではなく、攻撃的に走らせます
四代目ではエンジンの動力を前と後ろの左右に分岐するという
若干パッシブな駆動でしたが、エンジン以外にも駆動力を
生み出すことができるモーターを手に入れた五代目は前後左右の
4輪を文字通り自在に動かすことができるようになりました
これでコーナーは2tもある重量級の車がスーパーカー顔負けの
超ハイスピードで駆け抜けることができるのです
スキーをする人にはお分かり頂けると思いますが、通常の車は
コーナーはパラレルターンのようで、減速することを前提として
コーナーに入ります。
しかしこのレジェンドはその常識が通用しないのです。
まるでスキーはカービングスキーに変わった時のような異次元の
体験をすることができます
カービングスキーのターンは遠心力が加速に変わり、ターンを
するごとに加速していく非常に危険なものなのですが、
レジェンドのコーナリングもターンするごとにアドレナリンが
吹き出してアクセルを踏んでしまい、終いにはちょっと人には
言えないスピードになってしいます。。。
でもそのようなスピード域でも全く恐怖感がないのです
この走りは誠に爽快でして、こんな走りをできるレジェンドは
「日本の至宝
」
といっても過言ではないと思います。
新車では700万円オーバーでして、ホンダのブランド力的に
販売的には当然苦戦していますし、アメリカですら月間100台強
しか売れていませんが、高速域での挙動は世界でもトップレベル
にあると思います。
できれば先代同様ヨーロッパでも販売し、アウトバーンで
走らせて欲しいと思うくらいに。。。
ビッグマイナーチェンジしてこんな形になってしまい、ますます
一般の人には受け入れられないものとなってしまいましたが
でも中身は一層進化しているそうです