帰って発泡酒飲んだりしてダラっとして寝て、
今朝は遅めに起きて、借りてた「世界にひとつのプレイブック」を返しにタイムクリップ(地元のレンタル店)へ。
道は雪が沢山でしたが、晴れてたから結構溶けてて、転けずになんとか行けました。
帰宅したのですが、家の前の雪がかなり積もっていたのでちょっと雪かきを。
しかし変な体制でやってしまったせいか、若干腰が…もう若くないのね。。。
その後は具が大きめのカレーを作り、夕方になりTwitterで、今夜のサザエさんは、波平さん役の永井一郎さんが声優を務める最後の放送という事で、本当に十何年ぶりかにリアルタイムで視聴。
サザエさんの世界観は昔観たあのまんまで、若干細かい所(映像がワイド表示の上下切れてるやつになってたり、画像が鮮明になっていたり、カツオがパーカー着てたり、駅の看板が現代風になっていたり)が違和感を感じないくらいに新しくなっていたりしたけど、音楽も生演奏が基調の昔ながらのサウンドで、これって凄い事じゃないかと思いました。
作ってる方々のこだわりの極致なんだろうなと。
で三本立ての最後のエピソードは、波平さんフューチャリングの
「波平親切騒動」。
波平さんが色んな人の困ってる場面に出くわし、親切心で人助けをした事で近所の評判を上げたり、助けた人から感謝されてお礼されたりするけど、最後は人に道を教えたら、知らない間に街並みが変わってる事を家族に聞いて
「うっかり道も教えられんわい!」って言いながら走って追い掛けて行くっていうオチ。
人が良くてそれがたまに仇となって苦労をするけど、ずっと変わらずみんなと楽しくやっている波平さん。
波平さんの声を何十年も務めて来られた永井さんのお声は、あの波平さんというキャラクターの存在感や人物像と切っても切れないものだったと思います。
今日観た波平さんのお声は、昔と比べてやはり加齢のせいか、痩せたお声でした。
でも生き生きしてました。
カツオとお風呂に入っているシーン。
「カツオも人に親切にする事を心掛けなさい。」
カツオに(父さんの親切は学校でも評判だよ)と言われて
「やめんか、親切は自慢するもんじゃないぞ。」
この了見ですよね。
落語家の故・立川談志さんは
例えばボランティアという慈善活動の事を、
「ボランティアという名における"自己満足"」と言い切っていらっしゃいました。
そう、ボランティアとか親切というのは、(自分がやりたいから)する事なんですね。
だから言ってしまえば、
(自分の欲求を満たす為にした事)
だというのが、その行為の出発点なんですね。
だから談志さんは続けてこうも仰っています。
「良い事をした時に恥は無いのかね?」と。
善行も悪行も、人がしたいからする。
そういう意味では本質は変わらず。
人の行為・人生とは、恥ずかしい事の連続なのかも知れません。
だからそれをひけらかしたり自慢したりする奴は(恥知らず)(厚顔無恥)なんて言うのではないでしょうか。
勿論、悪いとされている事をした場合も、恥じるのは同じ理由だし、悪ぶって自慢なんてのも恥知らずです。
ただ、そういう事をひけらかす必要は無いと自覚する事は賢明だと思いますが、自己主張・感情表現を日本人はしなさ過ぎる感は否めません。
でもそれは、幼い頃から表現の仕方を教わらないから、なかなか出来ない(教育の問題)というのが原因ではないかと思うのです。
だからイジメも無くならない。酷い事をされても、自分の心を殺して怒らずに溜め込んでしまうから。だから自殺してしまう子もいる。
かく言う私も、ハッキリした答えは持てて無いですけど、今思うのは、何かに依存した生き方のままではそれは難しいのではないかと。
自立して初めて、ニュートラルな自己主張・感情表現を自覚出来るのではないかと思うのです。
そのためには沢山の事を学んで血肉として行かなければならないと。
政治経済とか経験とか、実際に役立つ真の学習ですね。
善悪の話に戻すと、社会の中では、これは善行・これは悪行と(便宜上)分けているという、それだけの事であって、落語はそんな人間の善悪全てを肯定するもので、そこにたまらない魅力が有るというのが談志さんの了見でした。
話はズレまくりですが、サザエさんに戻しますと(笑)波平さんが困ってる人の為に汗をかきながら奮闘する姿に、僕自身の亡くなった親父と重なったし、昔気質の日本の庶民の姿、義理人情を重んじて、決してそれをひけらかさない姿に、懐かしさと温かい気持ちとを久しぶりに感じました。
こんなエピソードが永井さんの最後のエピソードで、本当に素晴らしかったなぁと思います。