波平さんという人物像は、
「情けは人の為ならず」
という言葉を思い起こさせるんですね。
この、「情けは人の為ならず」
ということわざですけど、いっ時その意味が曲解されていましたよね。
「人に情けを掛ける事は、掛けられた人間が堕落し、自立する機会を奪ってしまうので、後あとの事を考えると、その人の為にはならない。よって、人に情けは掛けない様にしよう。」
と言った様な意味で。
この解釈は実は間違いで、本当は、
「他人に情けを掛ける事は、時に大変な事も有るけれど、実はそういう優しい気持ちを持って他人に接する事で、世間は互いに情けを掛け合うあたたかい世の中になり、それが巡り巡っていつかは自分も救われる事が有る。だから困っている人が居たなら協力してあげなさいよ。」
という意味なんですよね。
曲解された意味とは真逆ですね。
まさに昨日の波平さんは、それを地で行く立ち居振る舞いだった訳ですね。
勿論、情けを掛ける事はその人の意思で勝手にやる訳ですから、その自覚は忘れてはいけない。
それによってよそ様から賛辞を得るなんて事を考えるのは実に恥ずかしい事であって、そんな事を求めるのはダサい訳です。
それくらいのものであって、それで情けを掛けた事で、困っている人が救われたり助かったりしたのであれば、それだけで充分な事なんですよね。それを忘れちゃいけないよ、っていう。
言い換えると謙虚さって事かなと思います。
謙虚さって言うのは、
いかに自分が浮き足立たずに現実をしっかり認識して、自分に都合良く解釈せずに、自らを必要以上に過大にも過小にも評価せずに居続けるか、で決まるのかなと思います。
自分がした行動、自分が吐いた言葉、
したきり、言ったきりじゃなくて、振り返ってみる事が大事なんでしょうね。
もし他人に情けを掛けられて、助けてもらったなら、それは(有難い)事ですよね。
(有難い)って言葉の意味は、
(普通に生活していたら起こり得ない、この状況になるとは考え難い)という意味であって、困っている時には基本的には一人ですから、そこへ誰かが来て救いの手を差し伸べてくれるなんて事は(有難い)って事なんですよね。
だから言う(有難う御座います。)
(有難い事であると自覚しております。感謝の念を抱いております。)。
そう伝える事は、相手を労う意味で大切かなと。
今回はエラい真面目になってしまった。
最後にちょっと崩そう。
タマには眉毛がある。
