勉強アレルギー | yeah-she 再生工場

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極めて個人的趣味嗜好の為の遊び場

(勉強)という言葉が大嫌いです。

強いて勉めるですよ。

僕は我儘なもので、強いられると反発したくなります。

拒否反応が出ます。



最近思うのは、物事を学ぶ時の自分の状態がどうなのか?という事であります。

強いられると言う事は、こちらに圧力を掛けられるという事です。

恐らく、その時点で身体は強張るし、心も強張る。そして頭も強張るでしょう。

外部から何かをインプットしようと思ったって、とても何一つ身に入らない気がするんですよね。



本来何かを学ぶという事は楽しい事のはずです。

学ぶ事によって、自分自身を成長させたり、変わって行く事が出来るのだから。

だから学ぶという事は自発的でなければいけないし、楽しくなければいけないと思います。


(学ぶ)という事がどういう事なのか考えてみたいと思います。

言葉で言うとするなら、
五感…(見て聞いて嗅いで味わって触って)を使って、対象となる授業・教材などから情報を得て、頭に入れて(知る)、知った事がどういった意味を持つのかが解り(理解)、理解出来た事を実際の活動に生かす事が出来るという事。
そこまで行って、学んだという事になるのでしょう。

それらの一連の活動を(学習行動)とでも言っておきます。


学びも、身になる学びと、身にならない学びって有ると思います。

身になるか、身にならないかを決めるポイントを考えます。

先日のセミナーを観て、思いつくのは、

・自分がやりたい事の全体図・体系の中で、学ぶ事がどういった意味を持っているのかが、明確に解っている。目的が解っている。

・学んだ事が活動に生きている様子をイメージ出来る。

・学ぶ事の内容に無駄が無く、目的へ辿り着く上で必要なものであり、重要なものである。


まだ有りそうな気もするけど、取り敢えずこんな所で。


小・中と、学校でやってるのは勉強ですわね。

楽しみなんぞ無い訳です。

学ぶ事がどういった意味を持っているのかなんて考えさせる間も無く、授業は進んで行く。

学んだ事がどういった場面で生きるのかなんて事は置いといて、学習要綱というスケジュールに則って授業は進む。

そりゃ落ちこぼれる者も出るっつう話です。


ちなみに外国のオランダなんかでは、学校で子供が楽しそうに学ぶという光景が普通なんだそうです。

本来意味するところの教育がされている表れなのでしょうね。

やれ受験だなんだの、為政者が決めたレールに乗るための学びではないのでしょう。


本当の意味での学習行動をして行きたいものです。