学びの意欲③ | NEX‐bloG

学びの意欲③

子供達の中で、あるいは大人の中でも、漠然と「何のために学ぶのか」「何のために勉強するのか」そんな疑問が生まれる。

人生において、勉強はしなくても何とかなってしまう場合が多いように思う。
特に子供においては、勉強をしなくても日常的に困ることは少ないし、勉強をした場合にも自覚的には数字上の成績が上がる程度の報酬しかない。
実生活に結びつく成長が見えにくいのではないかと思う。

そんな子供達も受験期になるといよいよ本腰を入れて学ぶ姿勢になる。
進学に向け、志望校という目標が設定されるからか。

そのまま疑問なく突き進む人もいれば、目標があっても途中でガス欠になる人もいる。

それはおそらくだが、進学のその先が見えていないからではないかと思う。
明確な目標のない努力を漠然と続けることはゴールのないマラソンのようなもので非常に辛い。

目標が見えない。
そんなときに「どうして勉強するのだろう」の問いが生まれる。

これは、試験合格のため、資格取得のための教育に生まれがちな問題である。
確かにそれが疎かになれば、本来の目標達成のためのスタートに立つことはできない。
しかし、教育において、実社会の色が薄く、社会人としての実務を現場に出てから学び直すことが多い状態では、今勉強する意味が見出せない。
すると、学びから遠ざかり「勉強する意味がわからない」という深みにハマってしまう。

最終的な目標はペーパーテストで100点を取ることではない。
テストの点を取ることはその先にある目標を達成するための手段にすぎない。
だからこそ、その先の目標・目的対する教育が必要なのではないかと思う。

テストで点数を取るための勉強をするだけでなく、第一線で活躍する社会人を招いて実社会ではどういうことをしている、そんな話を聞いてもいいだろう。
また、現場の空気を味わうという意味で、仕事の本質はわからないにしても職場体験は非常にいいシステムだと思う。
また、そういった教育を父親・母親ができたらいいなと思う。
働く父・母の姿を子が見る機会はほとんどない。
自分を育ててくれる人間の、かっこいい背中を見せられること、それはすごくいい教育だと思う。

これは、目標として将来やる仕事を決めるというのではない。
目標を明確にするためにその可能性を広げることである。
学びの先にどういうことが待っているのかを知ること。
学びの可能性を知り、未来に対するイメージや希望が持てること。
それが目標を持つことに繋がり、学びの意欲が変わってくるのだと思う。