日々、時間に追われて生活していると
忘れてしまいがちなことがある


すべては自分で選べる

ということを。





毎日が忙しい人は「目の前のことを
どうやって消化しようか?」という
ことにエネルギーと時間を使っているので
特に忘れてしまう


すべては自分で選べるということは
同時に「すべては自分の責任である」
とも言える

しあわせになりたいと願うひとばかりと
思いきや、実はそう願わない人もいると
いうことを知ったときは衝撃的だった

なぜしあわせになりたくないのか?
または、しあわせに気づきたくないのか?

それは

不幸であることで
人の気を引くため

である。

しあわせだと人の気を引くことができない

特別に見てもらえない

いわゆる「悲劇のヒロイン」を
演じているわけだ

病気になったときに親に優しくされた
特別感を忘れられず大きくなっても
不幸であることで特別になろうとしてしまう

グレるのもこの類いである

不幸であることで特別になろうとしているのも
自分で選んでいるのだから、そうならないこと
も自分で選べる。


あのときあんなことがあったから
私はいま、しあわせじゃないんだ

いわゆるトラウマも、同じである

トラウマが原因で勇気を出せない、と
いうことも自分で選んでいる

トラウマのせいにして勇気を出さなくても
済むようにしているからだ

たしかにイヤな思いや悲しい思いを
したことは事実だろう

いつまでもそのせいにしていると
安全な場所に居られるから安心だろう

だけど、そのせいにしているということを
あなたが選んでいることは自覚しないと
いけない

自分で選んだことは後悔しないはず。

あなたがいま、自分の人生に不満や後悔が
あるなら、その原因を何かのせいにしている
可能性が高い

過去の原因がいまのあなたを作っている
のではなく、そうなりたいと思うあなたが
いまのあなたを作っているのだ


これも自分で選んだ結果の話