大屋駅が改築されるとのニュースは、前回お知らせしたとおりです。

大屋駅(写真1)
今の建物は、1896年(明治29年)駅開業時に建てられた物とのことで、建築以来120余年の歳月が流れ、この間地域の玄関口として、また、通勤通学の最寄り駅として親しまれて来ました。
日本の産業の近代化を語る時、大きな原動力になったのは、生糸の生産と鉄道輸送でした。こうした時代背景の中で、この大屋駅は、信越線を使った生糸の輸送のための大事な基地駅となり、明治大正期には、和田峠を越えて運ばれて来る諏訪地方で生産された生糸を、横浜港から諸外国に輸出する際の中継駅として重要な役割を果たし、大変栄えた駅でもありました。駅付近には、今でも往時をしのばせる建物が点在しています。

待合室(写真3)

柱時計(写真4)
信越線に特急が走るようになってからは、一部の特急も停まる駅として賑わいを見せていた大屋駅も、1997年(平成9年)10月1日の新幹線の開業により、経営はしなの鉄道に移管され、現在はしなの鉄道大屋駅として営業されていますが、古くなった駅舎と共に、待合室(写真3)に置かれている大きな柱時計(写真4)に過ぎ去った歴史の郷愁をを感じます。

駅舎にかかる満開の桜(写真2)
この大屋駅も、建物老朽化と利用者減の時代の波には逆らえず、今の建物は取り壊され、新しい大屋駅舎として生まれ変わるようです。運営も日本郵便に委託され、駅舎内に大屋郵便局が併設されて駅務は郵便局員が行い、切手の販売も、切符の販売も行う計画とのこと。4月中には一部工事が始まり、来年度2024年度中の完成を目指すとのことです。駅舎前の桜の木も切り倒されるとのことで、駅舎に被る満開の桜(写真2)の景色もこれで見納めとなります。
創業期からのこの駅の役割を考える時、改めて時代の転換点を感じます。

大屋駅(写真1)
今の建物は、1896年(明治29年)駅開業時に建てられた物とのことで、建築以来120余年の歳月が流れ、この間地域の玄関口として、また、通勤通学の最寄り駅として親しまれて来ました。
日本の産業の近代化を語る時、大きな原動力になったのは、生糸の生産と鉄道輸送でした。こうした時代背景の中で、この大屋駅は、信越線を使った生糸の輸送のための大事な基地駅となり、明治大正期には、和田峠を越えて運ばれて来る諏訪地方で生産された生糸を、横浜港から諸外国に輸出する際の中継駅として重要な役割を果たし、大変栄えた駅でもありました。駅付近には、今でも往時をしのばせる建物が点在しています。

待合室(写真3)

柱時計(写真4)
信越線に特急が走るようになってからは、一部の特急も停まる駅として賑わいを見せていた大屋駅も、1997年(平成9年)10月1日の新幹線の開業により、経営はしなの鉄道に移管され、現在はしなの鉄道大屋駅として営業されていますが、古くなった駅舎と共に、待合室(写真3)に置かれている大きな柱時計(写真4)に過ぎ去った歴史の郷愁をを感じます。

駅舎にかかる満開の桜(写真2)
この大屋駅も、建物老朽化と利用者減の時代の波には逆らえず、今の建物は取り壊され、新しい大屋駅舎として生まれ変わるようです。運営も日本郵便に委託され、駅舎内に大屋郵便局が併設されて駅務は郵便局員が行い、切手の販売も、切符の販売も行う計画とのこと。4月中には一部工事が始まり、来年度2024年度中の完成を目指すとのことです。駅舎前の桜の木も切り倒されるとのことで、駅舎に被る満開の桜(写真2)の景色もこれで見納めとなります。
創業期からのこの駅の役割を考える時、改めて時代の転換点を感じます。