あちこちで、薔薇の花が咲き誇っている
それは本当に、うっとりと見惚れるような美しさ。
しかし、私にはつぼみ時代の薔薇も捨てがたい。
つぼみの形がまず愛らしい。
花びらの色をほんの少しだけのぞかせて、
口をとんがらせたおしゃまなお嬢さん!
あなたは赤い花びらになるのね。
こちらのあなたはほんのりとした薄ピンク。
と、開花する前の、
人で言うなら甘酸っぱい青春時代まっただ中の、つぼみさん。
可能性を秘めた、初々しく、りりしい姿。
充分に咲ききった、満ち足りて、ほこらしげな姿を見た時の
喜びとはまた違う、新鮮で心温まるような優しい感動を感じる。
人も同じ。
脂の乗った、エネルギッシュな人、自分の力を知っている、
躍動感のある人は、見ていて気持ちがいい。
でも、まだまだ青いけれど、
これからどんな方向へ伸びていくのかわからないような、
ちょっと危うさも抱えつつ、でも不思議な伸びしろも隠し持った、
ドキドキするような、可能性にあふれた若者を見ると
うきうきし、ワクワクする。
散りゆく薔薇だってすてきだ。
命のはかなさに、哀しさも覚えるけれど、
この、ひとつひとつの死を経なければ、
次の年の新たな命たちを迎えることは、
出来ないのだなぁと気づかせてくれる。
今年もありがとう、ありがとう
散りかけの薔薇も、死と再生を繰り返す命の循環の中で、
大事なお役目を担ってくれている!
そんな薔薇のいろいろであるけれども、
私の結論は、やはりつぼみがいい。
そして、人の場合、つぼみでいようと思うなら、
ずっとつぼみでいられる、という事に
私はつい最近気がついた。
歳は関係ないのだ。おじいさん、おばあさんになっても、
わくわくの好奇心いっぱいでいられる人は、つぼみ。
いろいろ数々の失敗をやらかして、周りの人に迷惑もかけ、
本人もしゅーんとしぼみ、しおれてほとんど枯れかけても、
また立ち上がる底力を持っている人も、つぼみ。
何歳になったって、何度失敗したって、
また新しく生まれ変われる人は誰しも
つぼみを内側にたくさん持っている。
つまり、何度でも、人はやり直せるし、生まれ変われるのだ。
今、こんな私にもつぼみがきっとある。
「若くないから」とか
「いい歳して恥ずかしいけど」とか
そんな前置き(もしくは言い訳)は要らないのだ、
だって、まだまだこれから失敗するだろうし、
まだまだこれから恥もかき、大いにこけるかもしれない、
でも、恐れることはない、だってそれは、
伸びしろが、可能性がいっぱいあるってことだもの、
それがつぼみの特権。
それがつぼみのすてきなところ。
だから胸を張っていい。
いくつになっても、
いつだってつぼみ。
私はピンクみたい

